水がぶどう酒に
宴会の世話役が、くまれた水を飲み干すと、
何とそれはぶどう酒になっていました。
もちろん彼は、それが水だったとは知りません。
思わずも彼は、花婿を呼んで言いました。
「だれでも初めて良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだところになると、
悪いものをだすものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今までとっておきました。」
確かに婚礼が一週間も続くので、最後のほうになると、ぶどう酒が足りなくなって、
人々が酔ったころには悪いものを出すことがよくありました。
ですからこの世話役は思わずも花婿をほめたのでした。
しかし花婿は誰がぶどう酒をとっておいてくれたのか、
いえ、本当は足りなかったのに、
水をぶどう酒にイエス様が変えてくれたということも何も知らなかったのです。
イエス様は、この花婿も宴会の世話役も知らないところで奇跡をなさって、
水をぶどう酒に変え、最初の神の子としてのしるしを行われたのです。
でもあの手伝いたちだけは
イエス様が水をぶどう酒に変えたことを知っていました。
イエス様のことばに従って水を水瓶に満たし、
くんで持って行った手伝いたちだけは知っていたのです。
私たちが主のことばに従うとき、私たち自身が神の栄光を見、
またそれに携わることができるのです。
確かに、主の奇跡を通して、多くの人々が祝福を受け、恵みを受けるでしょう。
しかし、その時、それがどのようにしてなされたかを知っているのは
主に従った者たちなのです。
私たちも主に従うことを通して、さらに主の栄光を見、
主がどのようにしてみ業をなされたかを知ることのできる祝福を受けていきましょう。
それは従うものだけが受けることの出来る恵みなのです。
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