2014年12月13日土曜日

ラザロの復活3

従う者が見る神の栄光

 

イエス様は心に憤りを覚えながら、ラザロの墓の前に来られました。

そのお墓はほら穴になっていて、石がそこに立てかけてありました。

そのときイエス様は言われました。

 

「その石をとりのけなさい。」と。

 

マルタはすぐに言いました。

「主よ。もう臭くなっておりましょう。4日になりますから。」

 

マルタの心の中に、

イエス様、どんなにあなたがラザロを愛してくださっていても、

もう遅いのです。

いまさら死んで4日にもなるのに。

石を取りのけても何にもなりません。

もうラザロは戻ってはきません。

そういう思いがかけめぐっていたかもしれません。

 

しかし主ははっきりと言われたのです。

 

「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、

 とわたしは言ったのではありませんか。」と。

 

マルタはこのことばを聞いたとき、呟くことも疑うことも止めました。

よくわからないまま、とにかく、主の言われる通りにしたのです。

 

彼らは石を取りのけました。

主イエスに従ったのです。

そのとき主は目をあげて、父なる神に祈られたのです。

 

「父よ。私の願いを聞いてくださったことを感謝いたします。」と。

 

そして祈り終えられたあと、大声で叫ばれました。

 

「ラザロよ。出て来なさい。」

 

すると死んでいたはずのラザロが、手と足を長い布で巻かれたまま、出てきました。

彼の顔は布切れで包まれていました。

ラザロは生き返ったのです。

復活したのです。

何と死んだラザロがよみがえってきたのです。

主は言われました。

 

「ほどいてやって帰らせなさい。」

 

主の御心はラザロのいやしではなく、復活にあったのです。

 

でも考えてみてください。

なぜイエス様は、わざわざ石を取りのけさせたのでしょう。

イエス様にとって、

石などあっても別にラザロをよみがえらせることは難しくないはずです。

かりに石が邪魔なら、イエス様がよみがえられたときのように

天使に石を取りのけさせることもできたはずです。

しかしイエス様は天使ではなく、

マルタやマリヤたちに、石を取りのけるようにと言われました。

 

おそらく彼らは石を取りのければ

ラザロがよみがえってくるとは思ってもいなかったでしょう。

いやそれどころか、こんなことをしても、

いまさら何にもならないと思ったかもしれません。

 

けれども彼らは従ったのです。

イエス様のことばに従ったのです。

ここに鍵があるのです。

 

神様は彼らの従順を通して働かれたのです。

イエス様のことばに従ったとき、

それを信じるものの行為として見てくださったのです。

ラザロはよみがえりました。

 

彼らが考えることも期待することさえもしていなかったような大いなる神の栄光が現わされたのです。

 

主のことばに従うものはこのような神の栄光を見るのです。

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