2014年12月24日水曜日

カナの結婚式5

聖書のマリヤ

 

ところで、この聖書の箇所は、

カトリック教会が、マリヤのおとりつぎということの聖書的根拠にしているところです。

 

イエス様は、母マリヤが頼んだ時、聞いてくださった。

だからマリヤに頼めばイエス様は必ず聞いてくれるのだと言うのです。

 

はたして本当にそうなのでしょうか。

この箇所は、そんなことを言っているのでしょうか。

 

確かに私たちは、マリヤから多くの学ぶべきことがあります。

マリヤはイエス様を信頼していました。

マリヤのイエス様に対する信仰からは、多く学ぶべきことが聖書には書かれています。 

 

しかし、この時イエス様が、水をぶどう酒に変えられたのは、

マリヤが頼んだからではありません。

 

主ははっきりとマリヤに言われたのです。

 

「あなたは私と何の関係があるのでしょう。」

 

イエス様はマリヤが頼んだとき、すぐに行動は起こされませんでした。

主の時を待っておられたのです。

そして主の時が来たときに、奇跡を行われたのです。

彼のことばに従う者たちの従順を通して。

 

ある方々は言われます。

イエス様に直接お祈りするのは申し訳ない。

まずマリヤ様にお願いしてイエス様に頼んでもらおうと。

 

それは間違いです。

 

誰よりも聖書に書かれているマリヤが、一番そのことを悲しむことでしょう。

 

もしそれを願い、そう語るマリヤがいるとしたら、それは聖書のマリヤではありません。

マリヤを名乗る偽りの力なのです。 

 

イエス様は、あなたが直接イエス様のところに来て

イエス様に求め、願い、祈るのを待っておられます。

 

そして、本物の聖書のイエスの母に選ばれたマリヤもそのことを望んでいるのです。

 

私たちと神様の仲介者はただ一人、イエス様以外にはいないのですから。

 

マリヤは確かにイエスの母として選ばれました。

それはすばらしい恵みでした。

しかし、それは私たちのところに来て人となってくださった方の、

人の子としてのイエス様の母になられたということです。

 

あくまでも、人としてイエス様の母になられたのでした。

 

神の母になったのではありません。

 

神のひとり子イエス・キリストには、母はいないのです。

 

マリヤは人になってくださったイエス様の母ではありましたが、神の母では決してありませんでした。

 

聖書に書かれているマリヤは、イエス様を信頼していました。

そしてこう言いました。

 

「あの方が言われることは、何でもしてあげてください。」

 

私たちはイエス様のことばに、あの手手伝いたちのように単純に従うべきなのです。

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