2014年12月31日水曜日

チャリティーコンサート♪

先日行われたチャリティーコンサートはとても祝福されました!
お父さんがコンサートにやってきたことが何よりも嬉しかったです !*\(^o^)/*

Hope

2014年12月30日火曜日

第14回目 十字架の生涯 ナルドの香油

ナルドの香油


エルサレムから

3キロメートル離れたところに

ベタニヤと言う町があります。


このベタニヤには、

かつてイエス様によって

死からよみがえったラザロと

その姉妹であるマルタとマリヤが

住んでいました。


そのことは以前に書いたので、

そちらを読んでください。


今回は、

そこに住んでいたシモンと言う

らい病人の家で起こったことを

書きたいと思います。



らい病人の家にこられた主


当時らい病人は、

人々と共に住むことは

出来ませんでした。

それどころか、

家族からさえも、隔離されて

「らいの谷」というところに

居なければならなかったのです。


なぜなら、らい病というのは、

単なる病気というのではなく

汚れた病気というふうに

考えられていました。

すなわち、宗教的にも汚れており、神に呪われていると

考えられていたのです。


それなのに、このシモンさんは、

ベタニヤの町に住んでいることが

できたのです。

おそらく、もうらいが

完全に直っていたのでしょう。

とはいえ、

かつてらいであったというだけでも

人々は避けるはずですが、

イエス様は避けるどころか、

そのらいだったシモンの家に

来られたのです。


人々が、

神に呪われていると思われていると考えられている人のところへ、イエス様は来たのです。そして共に食卓につかれました。その人の生活のただ中に来てくださったのです。そこには死の床からイエス様によってよみがえらされ復活の奇跡に預かったラザロもその姉妹のマリヤとマルタたちもいました。

(惜しみなく注がれた香油)

 その時、突然一人の女性がイエス様に近づいてきました。彼女はその手に純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエス様の頭の上に注いだのです。

 この純粋なナルド油というのは、ヒマラヤ原産のナルドという植物の根茎から取った香料による香油で、非常に高価なものでした。

 当時、女性たちは、自分が得たお金をこんな風にして、純粋で高価なナルド油に変えて、つぼの中にためていたのです。今ふうに言えば、結婚準備のための積立貯金のようなのでした。

 しかしそれは現代の貯金なんかよりもはるかに真剣なものだったようです。少し大げさな言い方をすれば、女性のそれまでの生命そのもの、生活そのものだったのです。

 この女の人は、そのつぼをイエス様のために割ったのでした。そしてこの最高の香油をイエス様に注いだのです。

 それは単に心のこもったおもてなしという以上のものだったのです。なぜなら、このつぼはこの人がいつか結婚するときのために蓄えてきた彼女の生命そのものだったからです。

この人はイエス様を愛するあまり、今までの自分の人生そのものをイエス様に捧げたのでした。大切に大切に蓄えてきたものをイエス様に注ぎ出したのでした。

 イエス様への熱い思いと愛が、この人にそうさせたのです。それは誰から言われたのでもなく、この人の心の底からあふれてきたイエス様への愛がそうさせた行動でした。

(愛は計算や効率を越える)

 ところが弟子たちの何人かは、これを見て憤慨して言いました。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、300デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そう言ってこの女の人をきびしく責めたのです。

確かに弟子たちの言うことは妥当なことに思えます。と言うのも貧しい人に施しをすることはユダヤ人にとっては重要な奉仕であったからです。

 この女の人のつぼの中には、300デナリ以上に売れるだけの香油が入っていました。当時普通の労働者の1日の賃金は、1デナリでした。ですから、300デナリというのは普通の労働者の300日分の給料に匹敵します。たったひとりの人に一瞬に香油を注いでしまうより、この香油を売って多くの貧しい人を助けるほうが、はるかに効率が良いではないか。弟子たちはそう思ったのでしょう。

なるほど普通に考えれば弟子たちの言うことは妥当に思えます。しかし弟子たちは一番大切なものを見落としていました。それはイエス様へのこの女の人への愛でした。愛は効率や計算では動かないのです。そして愛は、人の計算や効率を超えてはるかに大きなことを成すのです。

 この女の人にとっては、イエス様に今までの人生を注ぎ出すことも、300デナリになる香油を一瞬にして失うことも全く惜しくなかったのです。このひとは計算や打算で動いたのではありませんでした。イエス様への愛がこの人を動かしたのです。本当の愛は計算しないのです。

(自分に出来る事をしただけ


2014年12月29日月曜日

王室の役人の息子のいやし6

主はあなたにも

主は、あなたにも
同じことを
することがお出来になります。

今、あなたが困難の中にいるなら、
あなたの家族が
苦しみの中にあるなら、
ためらう事なく、
主のもとに来てください。

主は私たちの不可能のかなたから、
その愛の御手を伸ばして
奇跡と勝利を与えてくださるのです。

あなたにとって、
もっとも悲しむべきことが、
あなたの家族にとって、
もっとも痛ましく思えることが、
神の愛と現実を知る
祝福の始まりになるのです。

私たちの信じている神は、
それをしてくださるお方です。

王室の役人の息子のいやし5

主のことばの真実

彼がカペナウムに戻っていくために
家路を急いでいると、
向こうから
彼の家のしもべが
やってくるではありませんか。

しもべたちは主人を見つけると、
息せき切って言いました。

「あなたの息子さんは
いやされました。
完全に直られたのですよ。」

父親は大喜びしながら聞きました。

「息子はいつ直ったのだ。
その時刻は。」

「きのうの7時です。」

その答えを聞いたとき、
彼は驚きを隠せませんでした。

それはまさにイエス様が、

「あなたの息子は直っている」

と言われた時刻だったからです。

主の力ある命のことばが語られた時
同じ時刻に息子は直っていたのです。

主は生きておられます。

主は愛を持って
私たちの願いと叫びに
答えてくださいます。

父親は喜びにあふれて
大急ぎで家に帰りました。

そして、
このことを家族のみんなに
話したのです。

彼はもちろん、
いやされた息子もお母さんも
兄弟たちも家族のものはみんな
彼とともに
イエス様を信じたのです。

これが
イエスのもとに来た王室の役人に
与えられた勝利でした。

死にかけた息子を抱えた父親に
与えられたすばらしい報いでした。

この息子の病気は、
この家族にとって、
そして王室の役人にとって、
とっても悲惨な悲しむべき
ことでした。

彼らには、
もう希望はなかったのです。

それどころか絶望感と無力感しか
残っていませんでした。


しかし、
主イエスのことを聞いたとき、
この父親に信仰が与えられ、
家族に希望が与えられ、
彼らが
イエス様のところに来たときに、
このもっとも悲しむべき悲劇が、
この家族にとって
もっとも喜ぶべき祝福の始まりに
変わったのです。

死にかけた息子も王室の役人も、
そして家族までが
永遠の命を受けたのです。

もっとも大切なものを
この病気を通して与えられたのです。

この試練を通して
家族全員が、
イエス様を
信じることができたのです。

これが何よりもすばらしい
彼らへの祝福でした。

これが主です。

私たちの信じている
イエス・キリストです。

2014年12月27日土曜日

王室の役人の息子のいやし4

愛によって働く信仰

王室の役人は、
イエス様の一見すると
冷たい突き放すようなことばにも
決して引き下がりませんでした。

彼は息子を
何としても助けたかったのです。

心の底から愛していました。

そうです、
彼は息子を愛していたのです。

だから
イエス様の冷たく聞こえることばで
すぐに引き下がったり
あきらめたりは出来なかったのです。

彼はイエス様に食い下がり、
しがみついたのです。

彼は言いました。

「主よ。
どうか私の息子が死なないうちに
くだって来て下さい。」

彼は信じていました。

イエス様が
来てくださりさえすれば
息子は必ず直ると。

決して息子は死にはしないと。

父の息子に対する愛が、
イエス様への信仰とひとつになって
働いたのです。


そのとき、
イエス様は
命のことばを語られたのです。

私たちも彼から学ぶ必要があります。

私たちも愛する者のために
主に懇願しているのに、
すぐに答えが来ないことがあります。

それどころか、
むしろ冷たく思えるような
主のことばを聞いたりするときさえ
あるかもしれません。

そんなとき、
これは御心ではないのだと、
すぐにあきらめたり投げ出したり
してしまいやすいものです。

しかし、
本当にその人を愛しているならば、
そして、
主に信頼し期待しているならば、
そのようなときにこそ、
主の前に祈り続け、
しつこいぐらいに
食い下がるべきなのです。

なぜなら
愛は決してあきらめないからです。

王室の役人の主に対する信仰と
息子への愛が
ひとつになって働いたとき、
イエス様は心動かされ、
命のことばを語られました。

イエス様は彼に言われました。

「帰って行きなさい。
あなたの息子は直っています。」

王室の役人は
イエス様のこのことばを聞いたとき
信じたのです。

今までは
『とにかく来てもらえば直る』
と信じていたのですが、
このときは、
ただ
イエス様のことばを聞いただけで
彼は信じたのです。

この言葉だけで十分だ。

息子はきっと直っていると
彼は
イエス様のことばを信じたのです。

イエス様のことばには
彼を信じさせる力がありました。

命が流れていたのです。

王室の役人の息子のいやし3

主のチャレンジ

王室の役人は
カナにたどり着くと
すぐにイエス様のところに行き、
下ってきて
息子をいやしてくださるようにと
懇願しました。

イエス様ならば、すぐに
「わかりました。行きましょう。」
と言ってくださると
彼は期待していました。

ところが主は言われたのです。

「あなたがたは
しるしと不思議を見ないかぎり、
決して信じない。」

まるで突き放すかのような
ことばですね。

でも、
これは突き放しているのではなく、
あなたは、
私がしるしと不思議を行うから
信じてるのか。

私が何かをするから
信じているのか。

もちろん、私は何かをする、
奇跡もいやしも私は喜んでなそう。
しかし、
何かをするから信じるのではなく、
私自身を信じなさい。
私を信じる者になりなさい。と、
イエス様は
言いたかったのではないしょうか。

例えばこういうことです。

あなたが
もしリストラで職を失ったとき、
あなたの愛する奥さんが、
あなたに
お金をもうけてこないなら、
あなたなんかいてもしかたないわ。
粗大ゴミよ。
と言ったらどうでしょう。

これはあなたでなく、
あなたが儲けてくる
お金が大事だった
ということですね。

ところが、
お金なんか仕事なんか二の次よ。

とにかく、
あなたが元気でいてくれるだけで
嬉しいと言われたら、
これは本当の愛ですね。

イエス様も私たちと、
このような本当の愛の関係で
かかわりたいと
願っておられるのです。

何かをしてもらえるからとか、
得になるからというだけでなく、
イエス様ご自身を
愛し信じるものになってほしい
と言われたかったのでしょう。

とは言っても、
イエス様は、
この王室の役人の死にかけている
息子を直してあげることは、
もちろん
喜んでしてくださる方でした。

でもそれだけでなく、
この王室の役人に
もっと深く、
もっと強く
主を愛し信じる信仰を
与えたかったのです。

2014年12月26日金曜日

王室の役人の息子のいやし2

王室の役人

イエス様が、
エルサレムからサマリヤを通って、
再びガリラヤのカナに
来ているということは、
すぐに、
ガリラヤの地方に広まりました。

そして、その噂を聞いて、
多くの人々が、イエス様のところに
やってきました。

その中に、
カペナウムという町に住んでいた
王室の役人がいました。

この人は、
カナから30キロ以上離れている
カペナウムという町から
やって来たのです。

今ですと車ですぐですが、当時は
そういうわけにはいきません。

一日近くかけて、
イエス様のところに来たのです。

実は、
この王室の役人の息子が
病気にかかってしまっていたのです。

しかも、
ただの病気ではなく、
死にかかっていたのです。

お父さんは、
名医とも呼ばれる人たちを呼び、
高い薬も投薬し、
何とかして、
この子を助けようとしました。

惜しみなくお金をかけ、
彼が今まで培ってきた
ありとあらゆる人脈を使い、
彼の社会的立場も利用して、
何とかして、
この愛する息子を
助けようとしたのです。

しかし、だめだったのです。

どんなに手を尽くしても
無駄だったのです。

息子は直るどころか、
ますます悪くなる一方で、
もう死を待つしかないというところ
まで追い込まれていました。

そのとき、
イエス様が、
ガリラヤのカナに来ておられる
という噂を聞いたのです。

この方は、
このカナで、
かつて水をぶどう酒に変えられ、
いろんなところで、
あらゆる病気をいやし、
らい病人を清め、
しるしと不思議の業を行いながら、
人々を救い助けておられる
ということを耳にしたのです。

王室の役人は、
そのことを聞いたとき、
すぐに、このイエス様のところに
行こうと決心したのです。

そうすれば、
きっと助けてくださる。

きっと息子を救いに、
こまで来てくださると
信じたからです。

そしてそう思ったときには、
もう彼は、
しもべたちにカナまでの旅支度を
命じていました。

気づいたときには、
彼はもうカナに向かっていました。

彼は愛する息子のために
イエス様のところに
期待と信仰を持って
出かけて行ったのです。

私たちの人生にも、
自分の持っているものを、
どんなに使っても、
どうにもならない問題が
許されることがあります。

どんなにお金があっても、
社会的立場や権力があっても、
知恵や才能や能力があっても、
それで、どうすることもできない
ことがあります。

そんなとき私たちは、
もうおしまいだと思い、
悲観し絶望してしまうのです。

特に自分の愛する者が
苦しんでいるときに、
どんなに愛していても、
自分が何もしてあげれないと
わかったときに、
私たちは言い切れない
やりきれなさを
覚えるのではないでしょうか。

しかし、
そんなときこそ喜んでください。

なぜなら、その時こそ、
まさに私たちが
生きて働かれる主にお会いし、
神を体験する用意ができた
ときだからです。

もし私たちが主を知らず、
神が、いらっしゃらないならば
もうおしまいです。

しかし、そうではありません。

私たちには、
助けてくださる主がおられるのです。

私たちを愛し、
不可能を可能にしてくださる
神がおられるのです。

確かに
イエス様は今も生きて働いて、
私たちを助け、
救い出してくださるのです。

ですから、
私達は失望することはありません。

もしあなたが今、
自分でどうすることもできず、
愛する者のために、
心を引き裂かれるような思いの中に痛んでいるなら、
この王室の役人のように、
今すぐ、
主イエスのもとに来てください。

この方は、
あなたの手の届かないところに
愛と奇跡の手を伸ばし、
救い助けだしてくださるのです。

あなたの祈りと願いを聞いて、
必ず答えてくださるのです。

王室の役人の息子のいやし1

十字架の生涯第13回目 

王室の役人の息子のいやし

イエス様が
最初のしるしをなされたのは、
ガリラヤのカナで行われた
婚礼の席でのことでした。

前回書いたように、
水をぶどう酒に変えられたのです。

そのカナにイエス様は、
再びやって来られたのです。

そしてそこで、
第二のしるしをなされました。

今回は、それを書きたいと思います。

2014年12月25日木曜日

チャペルコンサート

昨日はチャペルコンサートがありました。
教会は始めてという方も何人か来ておられました。

イエス・キリストの十字架を信じて欲しいと思います。
12月のこの月イエス様伝えやすい月です。
賛美を通して、証しを通して、メッセージを通して
イエス・キリストの十字架の愛が伝えられる時です。

私達の教会では、クリスマスは祝いません。
それは、12月25日はイエス・キリストが生まれた日
でもなく、ましては異教の祭りと関わっているからです。
聖書にもクリスマスを祝えと書いてもないからです。

20年位前、まだこの教会でない頃、
そこではクリスマスを祝っていました。
でも大変でした。祝会のための準備、多くの子供達に
プレゼントするためのクッキー作り、その袋作り
100人分用意していました。

ですから、ゆっくり聖書を読んだり、祈ったり
出来ないのです。
ある時、非常に私は虚しくなりました。
伝道することは大事だけど、
このままでいいのだろうか?
主と交わりもなくこんな事だけして、
主は喜ばれるのだろうか?と・・・

もし、イエス様がこの世に生まれて来て
下さったのがクリスマスとしたら、
毎日がクリスマスではないか。
わたしの罪を負い、十字架にかかり死に
わたしの罪を赦し、三日目に復活し今も
生きておられるのだから・・・・・
と思いました。

そして2 ~ 3 年してから、クリスマスを祝わない
この群れの教会に導かれました。
クリスマスを用いて伝道をしている教会です。
賛美を通して、証しを通して、メッセージを通して
主に祈りながら、主に聞きながら・・・
イエス・キリストの十字架の愛を信じる人が
一人でも多くおこされますように。

2014年12月24日水曜日

カナの結婚式5

聖書のマリヤ

 

ところで、この聖書の箇所は、

カトリック教会が、マリヤのおとりつぎということの聖書的根拠にしているところです。

 

イエス様は、母マリヤが頼んだ時、聞いてくださった。

だからマリヤに頼めばイエス様は必ず聞いてくれるのだと言うのです。

 

はたして本当にそうなのでしょうか。

この箇所は、そんなことを言っているのでしょうか。

 

確かに私たちは、マリヤから多くの学ぶべきことがあります。

マリヤはイエス様を信頼していました。

マリヤのイエス様に対する信仰からは、多く学ぶべきことが聖書には書かれています。 

 

しかし、この時イエス様が、水をぶどう酒に変えられたのは、

マリヤが頼んだからではありません。

 

主ははっきりとマリヤに言われたのです。

 

「あなたは私と何の関係があるのでしょう。」

 

イエス様はマリヤが頼んだとき、すぐに行動は起こされませんでした。

主の時を待っておられたのです。

そして主の時が来たときに、奇跡を行われたのです。

彼のことばに従う者たちの従順を通して。

 

ある方々は言われます。

イエス様に直接お祈りするのは申し訳ない。

まずマリヤ様にお願いしてイエス様に頼んでもらおうと。

 

それは間違いです。

 

誰よりも聖書に書かれているマリヤが、一番そのことを悲しむことでしょう。

 

もしそれを願い、そう語るマリヤがいるとしたら、それは聖書のマリヤではありません。

マリヤを名乗る偽りの力なのです。 

 

イエス様は、あなたが直接イエス様のところに来て

イエス様に求め、願い、祈るのを待っておられます。

 

そして、本物の聖書のイエスの母に選ばれたマリヤもそのことを望んでいるのです。

 

私たちと神様の仲介者はただ一人、イエス様以外にはいないのですから。

 

マリヤは確かにイエスの母として選ばれました。

それはすばらしい恵みでした。

しかし、それは私たちのところに来て人となってくださった方の、

人の子としてのイエス様の母になられたということです。

 

あくまでも、人としてイエス様の母になられたのでした。

 

神の母になったのではありません。

 

神のひとり子イエス・キリストには、母はいないのです。

 

マリヤは人になってくださったイエス様の母ではありましたが、神の母では決してありませんでした。

 

聖書に書かれているマリヤは、イエス様を信頼していました。

そしてこう言いました。

 

「あの方が言われることは、何でもしてあげてください。」

 

私たちはイエス様のことばに、あの手手伝いたちのように単純に従うべきなのです。

2014年12月23日火曜日

イブチャペルコンサート♪

明日は教会でイブチャペルコンサートが行われます!*\(^o^)/*
友人が親友を連れてくるとのことです(*^o^*)
明日のコンサートで神さまの素晴らしい祝福が現されると信じ期待しています!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

By Hope

カナの結婚式4

水がぶどう酒に

 

宴会の世話役が、くまれた水を飲み干すと、

何とそれはぶどう酒になっていました。

もちろん彼は、それが水だったとは知りません。

思わずも彼は、花婿を呼んで言いました。

 

「だれでも初めて良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだところになると、

悪いものをだすものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今までとっておきました。」

 

確かに婚礼が一週間も続くので、最後のほうになると、ぶどう酒が足りなくなって、

人々が酔ったころには悪いものを出すことがよくありました。 

ですからこの世話役は思わずも花婿をほめたのでした。

しかし花婿は誰がぶどう酒をとっておいてくれたのか、

いえ、本当は足りなかったのに、

水をぶどう酒にイエス様が変えてくれたということも何も知らなかったのです。

 

イエス様は、この花婿も宴会の世話役も知らないところで奇跡をなさって、

水をぶどう酒に変え、最初の神の子としてのしるしを行われたのです。

 

でもあの手伝いたちだけは

イエス様が水をぶどう酒に変えたことを知っていました。

イエス様のことばに従って水を水瓶に満たし、

くんで持って行った手伝いたちだけは知っていたのです。

 

私たちが主のことばに従うとき、私たち自身が神の栄光を見、

またそれに携わることができるのです。 

 

確かに、主の奇跡を通して、多くの人々が祝福を受け、恵みを受けるでしょう。

しかし、その時、それがどのようにしてなされたかを知っているのは

主に従った者たちなのです。 

 

私たちも主に従うことを通して、さらに主の栄光を見、

主がどのようにしてみ業をなされたかを知ることのできる祝福を受けていきましょう。

 

それは従うものだけが受けることの出来る恵みなのです。 

カナの結婚式3

従ったお手伝い

 

しばらくするとイエス様は、お手伝いの人たちに言いました。

 

ついに主の時が来たのです。

 

「水瓶に水を満たしなさい。」

 

それで彼らは、水瓶を縁まで水で一杯にしました。

その結婚式があった場所には、

大きな石の水瓶が、6つ置いてありましたが、

彼らは6つとも全部を水で満たしたのでした。 

 

でも考えてみてください。

足りないのはぶどう酒なのです。

水をいっぱいにしたところでいったい何になるのでしょう。

きっとお手伝いの人たちも怪訝に思ったことでしょう。

 

しかし彼らは、イエス様のことばに従いました。

何で水を入れるんですかといって文句を言ったり、

質問をしたりするのではなく、

とにかくイエス様の言われるままに、彼らはしたのです。

彼らはイエス様に、イエス様の言われたことばに、すぐに従ったのです。

 

すぐに従った彼らに、さらにイエス様は言われました。

 

「さあ、今くみなさい。

そして、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」

 

彼らは持って行きました。

今度も彼らはすぐに従ったのです。

いろいろ言わないで、イエス様の言われたままに従ったのです。

 

その時、奇跡が起きました。

 

私たちは時々主が語ってくださらないとか、

主が何を言っているのかわからないということがあります。

確かに主は沈黙され、私たちを待たされるときがあります。 

 

しかし多くの場合、この手伝いたちのように、

すぐに従うことをしないで、あれこれと言い訳をしたり、

文句を言っていることが多いのではないでしょうか。

 

もし私たちがすぐに従うなら、さらに主は次の示しや語りかけを与えてくださるのです。

 

私たちがまず、いま語られていることに従わなければ、

主はその次のことを語られないのです。

 

お手伝いの人たちが、すぐに従ったとき、主はさらに次のことを語られたのでした。

カナの結婚式2

マリヤの信仰

 

ガリラヤのカナというところで、結婚式がありました。

そこに、イエス様も弟子たちといっしょに招かれたのです。

そこには、イエス様の母であるマリヤもいました。

 

当時のイスラエルでの結婚式というのは一週間も続きます。

ですから、途中でぶどう酒がなくなってしまう

ということもあったのです。

この結婚式では、

イエス様のお母さんのマリヤさんが接待役をしていたようです。

 

それでぶどう酒がなくなったときに、

マリヤは息子のイエスに向かって言いました。

 

「ぶどう酒がありません。」

 

そう言えば、きっと何とかしてくれると期待していたのです。 

 

ところがイエス様は

 

「あなたは私と何の関係があるのでしょう。

女の方、わたしの時はまだ来ていません。」

と答えられたのです。

 

何と冷たい、と思われるでしょう。

私もそう思いました。

まして、お母さんに女の方だなんて、

イエス様らしくないと思われるかもしれません。

でも、これは女性に対する尊敬を込めた呼び方なのです。

 

つまりイエス様は、

 

「お母さん、わかっています。

心配しないでください。

私は父なる神様が言われたら、その時に何とかしてあげます。

でも今は、まだその時ではありません。

父なる神は、まだ私には何も示しておられないのです。」

と言われたのです。

 

決して母マリヤの言ったことを、突き放したわけではありませんでした。 

ただイエス様は、

 

「あなたが言う前から私には、わかっています。

そして父なる神様が語られる時を持っているのです」

と言われたのです。

 

母マリヤには、そのことがわかっていました。

それで結婚式のために来ていたお手伝いの人たちに

こう言いました。

 

「あの方が言われることは何でもしてあげてください。」と。 

 

マリヤはイエス様を信頼しきっていたのです。

ですから、一見冷たく思えることを言われても、

そんなことぐらいで落胆したり、あきらめたりしませんでした。

イエス様が必ず何とかしてくださるということを信じていたのです。

 

私たちもマリヤから学ぶ必要があります。

 

マリヤは、イエス様を信頼しきっていました。

だから、普通だと冷たく感じてしまうことばにも、

その中にある愛と深い意味を理解することができたのです。 

いえ、もしかすると

マリヤはイエス様のことばの深い意味は

分かっていなかったかもしれません。

けれども彼女は、イエス様はきっと何とかしてくれるという

イエス様という方に対する深い信頼そのものをもっていたので、

すぐに言えたのでしょう。

十字架の生涯 イエス・キリスト 第12回 カナでの結婚式1

カナの結婚式

 

イエス様が、宣教の働きに立たれたのは30歳でした。

 

それまではガリラヤのナザレの町で、

両親に仕え、

また成人してからは、

父の仕事を引き継いで一人の大工として、

人々に仕えられていたのです。

 

イエス様は神の子であられました。

にもかかわらず、神の時が来るまでは、

一人の息子として、大工として、

罪人に過ぎない人たちに、

ごくごく普通の日常生活の中で仕えられたのです。

 

私たちは、ともすれば、

すぐに主のために目立つ何かの働きをしたがります。

 

けれども罪のなかった神の子であられたイエス様が、

主の時が来るまで待たれたことを覚えましょう。 

 

私たちが過ごす、ごくごく普通の日常生活の中に、

大切な働きのための備えがあるからです。

そこで、

主は私たちを、

主の大いなる働きのために整えて備えてくださるのです。 

 

30歳になったとき、イエス様に主の時が来ました。

 

イエス様は、心から愛する両親も、

忠実に成してきた仕事も置いて、

家を出られたのです。

 

公生涯と言われる宣教の働きに立たれるためでした。

 

イエス様が、

宣教の働きに立たれた公生涯の歩みの中で

最初にされた奇跡は結婚式でのことでした。

 

時々、イエス様という方を何かとても暗くて、

堅い難しい人物のようの思っている方がいらっしゃいますが、

とんでもありません。

 

イエス様は結婚式に列席し、

二人を心から祝福して、

そして奇跡をなさいました。

もちろん喜びながら、

その結婚式に列席されていたことでしょう。

 

そして、そこで栄光を現されたのです。 

 

今回は、その時のことを書きたいと思います。 

2014年12月21日日曜日

International young team

今日は1月の特別賛美選考会が行われました♪
インターナショナル ヤング チームで喜びいっぱい「I rejoice in the Lord」を賛美しました*\(^o^)/*


Hope

2014年12月18日木曜日

Happy wedding!

先日、姉の結婚式が行われました! A姉&Yさん本当におめでとう!(*^^*)           

本当に祝福された結婚式でした!(*^o^*)

2人のこれからの歩みに神さまの豊かな祝福がありますように☆彡

私も御心の結婚をする時を心待ちにしています♪(^o^)

Hope


主の助け・・・

そそっかしい私は、時折失敗をします。
昨夜、教会の帰りがけ郵便ポストに
封書を入れた時???
年末の今、左側のポストの入口に
赤色で年賀ハガキと書いてあるのです。

一瞬どうしょう!と思いました。
何故なら月曜、火曜とそのポストに
コンサートの案内を200枚近く入れたばかり
だったからです。夕暮れだったので見えなくて
気付かずいつものように入れてしまったのです。

一枚一枚に、魂の救いがかかっています。
主に助けを求め祈りました。
そして主に知恵をいただきました。
そして今日、主が教えて下さったように
郵便局に行き、同じハガキをもって行き
間違えて入れてしまった事を話しました。

受付の人が丁寧に対応して下さり
係りの所に聞いてくださいました。
返答は、間違えて入れられても
必ず年賀状かどうか確認するので大丈夫ですよ。
ということでした。
本当に感謝です。一人一人に無事に届きますように。
そして必ずコンサートに来られますように。
主の十字架の愛にふれられますように。
そして教えて下さっている、かすかな聖霊様の声にも
気付きますように。 シオン

2014年12月17日水曜日

イエスキリストに信頼する者は失望することがない!

先日、私は取り返しのつかない大失敗をしてしまいました!!
なんと教会の会計のUSBを紛失してしまったのです。
私の頭の中には、USBを元の場所に戻したという記憶しかありませんでした。

しかし、USBをいつも保管している場所を探してもUSBはありませんでした。
教会の至るところをくまなく探しました。
家にもってかえることは絶対にないのですが、念のため家の中も探し回りました。
しかーし!どこを探しても何もない!ない!ないのです!!
その時の私の落ち込みようはすごいものでした・・・。

気を取り直して、私はイエスさまに全てをゆだね心を込めて感謝し賛美し踊りました。
なぜなら、神様が全てのことを働かせて私の失敗さえも益えと変えてくださるからです!
USBを失くしたことを丁寧に感謝し、悔い改めました。
すると信じられないくらいいとも簡単にUSBは見つかったのです。
そのときの私の喜びは計り知れません!!
普段着ないベストのポケットの中にUSBがあったのです。
そのベストはめったに着ることはないので、本当に不思議で仕方ありません。
自分に信頼した時に失望し落胆しましたが、イエスさまに信頼してお祈りした時にUSBが見つかるという神さまの素晴らしい逆転の勝利を体験しました!
イエスさまに信頼する人は決して失望することはありません!*\(^o^)/*


By Hope*☻

2014年12月14日日曜日

ラザロの復活5

リバイバルの前に 

 

リバイバルが近づいている今、

主は、私たちを、

マルタやマリヤのような取り扱いの中に置かれていることが、

きっとあると思います。

 

あなたにとってのラザロが何であれ、

主はあなたを愛して、あなたのところに必ず来てくださるのです。

ただ彼女たちが自分の願いと計画が破られ、

裏切られたと思ったように、

あなたもあなたの願いや計画は崩されるかもしれません。

あなたの思う通りには、主が答えてはくださらないこともあるでしょう。

 

しかし主は、

あなたの思いをはるかに超えるすばらしい神の栄光を見せてくださるのです。

罪人である私たち人間が、及びもつかないすばらしい神の栄光を見せてくださるのです。

あなたのラザロに対する神の計画を現わしてくださるのです。

 

そのことを覚えていてください。

 

主は不可能のないお方。

 

主イエスは決して裏切らないお方だからです。

2014年12月13日土曜日

ラザロの復活4

はるかに高い神の愛と計画

 

私たちも主を信じて待ち望んでいたのに、

答えてくださらなかったということがあるかもしれません。

なぜ主は、こんなときに黙りつづけていらっしゃるのだろう。

どうしてすぐに来てくださらないのだろう。

これで、もうおしまいだ。

そう思えるようなことが起こるかもしれません。

 

でも知って欲しいのです。

父なる神様のラザロに対する御心はいやしではなく、復活だったのです。

 

イエス様も

人としては、すぐに飛んで行っていやしてあげたかったでしょう。

しかし、イエス様は父なる神の御心の中に生きておられました。

イエス様は、マルタやマリヤ、そしてラザロよりも、

はるかに高い父なる神の愛と神の計画の中を生きておられたのです。

 

マリヤもマルタもラザロのいやしを信じていましたが、

ラザロが復活するなどということは、考えることすらできなかったのです。

不信仰と言うにはかわいそうです。

彼らにはラザロがよみがえってくるということなど、

発想さえ出来なかったのです。

しかし主の御心はそこにありました。

彼らの信仰よりも、もっと高いところにあったのです。

 

イエス様の彼らに対する愛は深く、彼らの信仰よりもはるかに高かったのです。

主は彼らのいやしの信仰を越えて働かれ、

彼らの復活の信仰へとさらにひきあげられたのです。

 

そして彼らの主に対する愛をもっともっと強くされたのです。

 

これが私たちの信じている主なのです。

 

これが主なるイエス・キリストなのです。

 

彼は決して私たちを裏切ることはないのです。

 

もしあなたが、かつて祈っていたけど答えられなかった。

もう時は過ぎてしまった、

そう思ってあきらめていることがあるなら、もう一度、主に目を向けてください。

ラザロに対していやしではなく、復活を用意されていた主が、

あなたにも復活の奇跡を見せてくださるからです。

ラザロの復活3

従う者が見る神の栄光

 

イエス様は心に憤りを覚えながら、ラザロの墓の前に来られました。

そのお墓はほら穴になっていて、石がそこに立てかけてありました。

そのときイエス様は言われました。

 

「その石をとりのけなさい。」と。

 

マルタはすぐに言いました。

「主よ。もう臭くなっておりましょう。4日になりますから。」

 

マルタの心の中に、

イエス様、どんなにあなたがラザロを愛してくださっていても、

もう遅いのです。

いまさら死んで4日にもなるのに。

石を取りのけても何にもなりません。

もうラザロは戻ってはきません。

そういう思いがかけめぐっていたかもしれません。

 

しかし主ははっきりと言われたのです。

 

「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、

 とわたしは言ったのではありませんか。」と。

 

マルタはこのことばを聞いたとき、呟くことも疑うことも止めました。

よくわからないまま、とにかく、主の言われる通りにしたのです。

 

彼らは石を取りのけました。

主イエスに従ったのです。

そのとき主は目をあげて、父なる神に祈られたのです。

 

「父よ。私の願いを聞いてくださったことを感謝いたします。」と。

 

そして祈り終えられたあと、大声で叫ばれました。

 

「ラザロよ。出て来なさい。」

 

すると死んでいたはずのラザロが、手と足を長い布で巻かれたまま、出てきました。

彼の顔は布切れで包まれていました。

ラザロは生き返ったのです。

復活したのです。

何と死んだラザロがよみがえってきたのです。

主は言われました。

 

「ほどいてやって帰らせなさい。」

 

主の御心はラザロのいやしではなく、復活にあったのです。

 

でも考えてみてください。

なぜイエス様は、わざわざ石を取りのけさせたのでしょう。

イエス様にとって、

石などあっても別にラザロをよみがえらせることは難しくないはずです。

かりに石が邪魔なら、イエス様がよみがえられたときのように

天使に石を取りのけさせることもできたはずです。

しかしイエス様は天使ではなく、

マルタやマリヤたちに、石を取りのけるようにと言われました。

 

おそらく彼らは石を取りのければ

ラザロがよみがえってくるとは思ってもいなかったでしょう。

いやそれどころか、こんなことをしても、

いまさら何にもならないと思ったかもしれません。

 

けれども彼らは従ったのです。

イエス様のことばに従ったのです。

ここに鍵があるのです。

 

神様は彼らの従順を通して働かれたのです。

イエス様のことばに従ったとき、

それを信じるものの行為として見てくださったのです。

ラザロはよみがえりました。

 

彼らが考えることも期待することさえもしていなかったような大いなる神の栄光が現わされたのです。

 

主のことばに従うものはこのような神の栄光を見るのです。

ラザロの復活2

栄光を受けるため、すぐ来られないイエス

 

ラザロが病気になると、

すぐにマルタとマリヤは

イエス様のところに使いを送りました。

 

「あなたの愛している者が病気です。」

 

そう言えば、すぐにイエス様は飛んできてくれる。

そして、きっとラザロはいやされる。

2人はそう堅く信じていました。

 

そしてラザロも

イエス様が来てくれれば

自分は治ると信じていました。

 

彼らは

主が自分たちを愛しておられることを

知っていました。

だから必ず来てくださる。

しかもすぐに飛んできて

完全にいやしてくださると信じていたのです。

 

ところが、主は言われたのです。

 

「この病気は死で終わるだけのものではなく、

 神の栄光のためのものです。

 神の子がそれによって栄光を受けるためです。」と。

 

まるで「ラザロは死ぬ」

と言っているようではありませんか。

しかもイエス様は、

なお2日もそこにとどまっておられたのです。

 

それから、

やっとイエス様は重い腰を上げて

ラザロのところに行かれました。

 

しかし、もうラザロは死んでいました。

しかもイエス様がベタニヤについたときには、

何とラザロが死んで4日もたっていました。

 

なぜイエス様は

すぐに飛んできてくださらなかったのでしょう。

主はラザロを愛しておられるのに。

ラザロもマルタやマリヤたちも

イエス様を心から愛し、

必ずいやしてくださると信じていたのに。

 

彼らは信じていたのです。

必ずいやしてくれると信じていたのです。

しかしイエス様は来てくださらなかった…。

 

マルタやマリヤは、

それでも主を愛していました。

主を信じていました。

 

でも、もうラザロは戻ってこないのです。

やりきれない気持ちが彼らの中にあったでしょう。

確かに天でラザロと会うことができる。

でも、

なぜイエス様は

すぐに来てくださらなかったのだろうか、

という思いは、どうしても消えなかったでしょう。

 

ですから、

イエス様がベタニヤに来たとき、

マルタは言いました。

 

「主よ。

 もしここにいてくださらなかったなら、

 私の兄弟は死ななかったでしょうに。」

 

イエス様は彼女に言われました。

 

「あなたの兄弟はよみがえります。」と。

 

マルタは

 

「私は、終りの日のよみがえりの時に、

 彼がよみがえることを知っております。」

 

と答えました。

この答えは間違いではありません。

しかしイエス様の言いたかったこととは違いました。

イエス様は、ラザロが今よみがえると言われたのです。

 

しかし、マルタにはそれが理解できませんでした。

それを不信仰と言うにはかわいそうです。

だれもこのとき、

主がなさろうとしていることを

理解できる人などいなかったでしょう。

 

それほどに、主がなさろうとしていた業は、

人の理解をはるかに越える大いなるものだったのです。

 

マリヤも同じことを言い、泣きました。

回りにいたユダヤ人たちも泣きました。

 

主はそれをご覧になると、

霊の憤りを覚え、

心の動揺を感じて、

言われたのです。

 

「彼をどこに置きましたか。」と。

 

そしてイエス様も涙を流されたのです。