2014年10月29日水曜日

十字架の生涯の始まり�

イエス・キリストの誕生


イエス・キリストがお生まれになったとき、彼はなんと家畜小屋で生まれました。

しかも最初に布にくるまれて寝かせられた場所は、馬の餌を入れる飼い葉おけだったのです。

ちょうどそのころ全世界の住民登録がありました。
しかも、この人口調査は、自分の家系でもあり血筋でもある先祖の町に帰って登録することになっていました。

それで、ヨセフは身重になっているマリヤもいっしょに連れて、
ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町に上って行ったのです。

彼はダビデの家系であり、血筋でもあったからです。

このベツレヘムで、イエスさまは生まれました。

マリヤの月が満ちたからです。

そのときヨセフとマリヤは家畜小屋にいました。

宿屋はどこもいっぱいで、彼らを泊めてくれるところは、どこにもなかったのです。

なんと人類の救い主、私たちのために人となってくださった神の御子イエスさまが、
この地に誕生するときに、私たち人類はその場所を持っていなかったのです。

家畜小屋しか、イエスさまのために用意しなかったのです。

しかし実は、それこそイエスさまにふさわしかったのです。

私たちの罪の身代わりとなって、
十字架にかかるために来てくださったイエスさまに、ふさわしかったのです。

本当ならイエスさまこそ最高の宮殿で最高の設備の中で出産されるべきでしょう。

しかし、それは神の御心ではありませんでした。

彼は、ご自分を無にされました。
もっとも惨めで、みすぼらしいところに来てくださったのです。

それは罪にまみれて、もっとも惨めでみすぼらしくなっている人間をも救うためでした。

そしてそれこそが、彼の何にもまして願っていたことでした。

だから、どんな暖かい布団よりも、どんなすばらしい設備よりも、
こここそが救い主である彼にふさわしいところだったのです。

なぜなら十字架以外に、私たち罪人を救う道はないのですから。

イエスさまは、このように誕生のときから十字架の道を歩いておられました。

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ3章6節—7節)

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