不妊は神のさばきではない
ザカリヤは祭司でした。
彼は妻エリサベツとともに、まじめに忠実に祭司の仕事をしていました。
にもかかわらず、
ずーっと願い続けている子供は、
与えられなかったのです。
当時の社会では、
子供が与えられないのは、
神に呪われている、
あるいは裁かれている、
というふうに考えられていました。
きっと彼は心を痛め苦しんでいたことでしょう。
こんなに一生懸命神さまの仕事をしているのに、何がいけないのだろうか、
どうして神さまは、
私たちに子供を授けてくださらないのだろうかと。
けれども、これは神の呪いでも裁きでもなかったのです。
主は救い主イエスさまの道備えをするヨハネを、
このふたりに任せる前に、
両親になるための整えと訓練を、
しておられたのでした。
もしみなさんが、
主に忠実に従っているのに、
なかなかうまくいかなかったり、
それどころか、
逆にとても厳しい試練の中に長い期間おかれたりしても、
すぐにそれは神の裁きだと判断しないでください。
神さまには、
私たちよりはるかに高く大きな計画が、
しばしばあるからです。
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