2014年10月20日月曜日

不妊の胎が開かれて2

不妊は神のさばきではない


ザカリヤは祭司でした。

彼は妻エリサベツとともに、まじめに忠実に祭司の仕事をしていました。

にもかかわらず、

ずーっと願い続けている子供は、

与えられなかったのです。


当時の社会では、

子供が与えられないのは、

神に呪われている、

あるいは裁かれている、

というふうに考えられていました。

きっと彼は心を痛め苦しんでいたことでしょう。

こんなに一生懸命神さまの仕事をしているのに、何がいけないのだろうか、

どうして神さまは、

私たちに子供を授けてくださらないのだろうかと。


けれども、これは神の呪いでも裁きでもなかったのです。

主は救い主イエスさまの道備えをするヨハネを、

このふたりに任せる前に、

両親になるための整えと訓練を、

しておられたのでした。


もしみなさんが、

主に忠実に従っているのに、

なかなかうまくいかなかったり、

それどころか、

逆にとても厳しい試練の中に長い期間おかれたりしても、

すぐにそれは神の裁きだと判断しないでください。


神さまには、

私たちよりはるかに高く大きな計画が、

しばしばあるからです。

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