2014年10月24日金曜日

不妊の胎が開かれて6.7


懲らしめとは整えの時


私は、ふと思うのです。

もしも、もしも、

ザカリヤが、おしになっていなかったなら、


もしかすると、親族や近所の人々に

「ヨハネ」とつけるのを反対されたとき、

「ヨハネ」と、の子につけなかったかもしれないと。


そして、彼らが主の言葉に従ったときに、

その懲らしめは終わり、

彼の口から、賛美があふれてきたのでした。


主の懲らしめは、

私たち平安な義の実を結ばせます。

そして、私たちに、

心からの賛美を与えてくれるのです。


あなたも不信仰のゆえに、

主の懲らしめの中に、

置かれることが、あるかもしれません。

しかし、それは、主が、あなたを愛し、

子として扱っておられるからです。

主は、たとえ、あなたが不信仰であったとしても、

あなたに約束されたことは、必ず果たしてくださるのです。

そして、その成就の時に、

あなたがそれを正しく受け取れるように、

いま、その懲らしめの中で、

整えてくださっているのです。



使命ゆえに待たされ整えられる


ザカリヤが、ヨハネと書いた瞬間、

口が開かれ、神を賛美し出したのを見て、

人々は、驚きました。

そして、神を恐れたのです。


このことの一部始終は、

その地方一帯に、語り伝えられていきました。

そして聞いた人々はみな、

いったい、この子は何になるのだろうか」

と言い、

この子とともにある主の御手を見たのです。


ザカリヤには、使命があったのです。

彼に与えられた子、ヨハネには、

救い主イエスさまの道備えをする、

という使命がありました。


これから始まるリバイバルの中で、

多くの人々が救われ、神の子とされていくでしょう。

彼らは、主の再臨の道備えをしなければなりません。


その彼らを、主に聞きつつ、主にあって育てていくのは、

私たちの使命なのです。


それゆえ主は、ザカリヤを待たされ整えられたように

私たちをも待たせ整えていかれるのです。


主の訓練と懲らしめは、

愛以外の何物でもありません。


それは私たちの祝福のためなのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿