2014年10月28日火曜日

十字架の生涯―イエス・キリスト 第4回目 十字架の生涯の始まり1

キリストの十字架


あなたが行っている教会に、十字架がありますか。

もちろん、ありますよね。


では、どうして教会には、十字架があるのでしょう。

それはイエスさまが、私たちの罪の身代わりとなって、十字架で死んでくださったからです。

イエスさまのあの十字架によって、私たちは赦され、義とされ、救われたのです。

だから教会には、必ず十字架があるのです。

十字架のない教会は偽物です。

決して行かないでください。

たとえ聖書を使っていても、キリスト教の名前を使っても、

十字架がなければ、それは本物ではありません。

それほど十字架は、キリスト教にとって大事なのです。

なぜならイエス・キリストの十字架―そこに救いがあるからです。

使徒パウロもコリント書の中でこう言っています。


「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」

(Ⅰコリント118節)


「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです」(Ⅰコリント123節)


なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、

すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」(Ⅰコリント22節)


ところでイエスさまは、最後に十字架にかけられたときだけ、十字架を負われたのでしょうか。

そうではなかったのです。

確かにあの荒削りの十字架を、その身に負って、

罪の身代わりになって死んでくださったのは、3年半の宣教活動の最後の「あの時」だけでした。


しかし、彼の生涯はその誕生のときから、すでに十字架の生涯だったのです。

神であられた方が人となったそのときから、もうすでに十字架の生涯が始まっていました。


今回はイエスさまの誕生のときのことから話を始めていきましょう。




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