2014年11月7日金曜日

十字架の生涯を贈られたイエス・キリスト 宣教開始篇

働きの前の荒野での試み
30歳になったとき、イエス様は家を出て、福音宣教を開始されました。
そのとき、まず最初にされたのが、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられることでした。

そして聖霊に満たされたイエス様は、御霊に導かれて、なんと荒野に行かれるのです。

そこで悪魔の試みに会われ、誘惑の中を通られるのです。

イエス様は御霊に満たされ、
すぐに福音を語るために宣教地に行かれたのではなかったのです。

イエス様は、福音宣教の前に、悪魔の誘惑に会うために、わざわざ荒野に行かれたのです。

しかも、それは御霊に導かれてでした。

イエス様は荒野で40日の断食をされたあと、空腹を覚えられます。

その中で悪魔の誘惑を退けられ、
そして御霊の力を帯びて、ガリラヤに帰られて、宣教を開始されるのです。

私たちも主に従っていくときに、
生涯の召しや人生における大切な働きの前に、
とても辛い経験や、試みの中を通されることがしばしばあります。

主はあえて私たちを荒野へと追いやり、
悪魔の誘惑の中で私たちを練りきよめ、
強くして働きのために訓練し整えてくださるのです。

罪のなかったイエス様が洗礼を受けられたばかりでなく、
悪魔の試みに会うために、御霊に導かれて荒野へと行ってくださったのです。

それは、私たちが通るすべての道を通るためでした。

私たちが通らねばならない道を、イエス様は決して避けることなく、喜んで通ってくださったのです。

そして、イエス様は勝利し、私たちに勝利の模範を示し、与えてくださったのです。

荒野での悪魔の誘惑に勝利されたイエス様は、御霊の力を帯びてガリラヤに帰り、宣教を開始されます。

そのとき、初めに示されたことが弟子たちへの召命でした。

イエス様は、エルサレムではなく、
人々がガリラヤから預言者は起こらないと言っていた、
そのガリラヤで宣教を開始し、弟子を呼び召し出されるのです。

もちろん、イエス様はエルサレムをこよなく愛しておられました。

しかし主が愛された町エルサレムには、
このとき弟子たちとして主が呼び出される者は見あたらなかったのです。

異邦人のガリラヤと呼ばれた、
その地の人々を、主はご自分の弟子として選ばれたのでした。

主はあなたがどこにいたとしても、そこに来てくださいます。

人々は、あなたに目をとめないかもしれません。

けれども主はそこに来て、
あなたの心をご覧になり、
あなたの名を呼んで弟子として下さるのです。


シモン・ペテロの召命

イエス様が語る、神の言葉を聞いた群衆たちは、主のところに押し迫っています。

それでイエス様は、漁師に頼んで、
ガリラヤ湖の湖畔にあった小舟の一つに乗って、
少し漕ぎだしたところから群衆に教えられました。

話が終ったとき、その小舟の持ち主だったシモンに、
主は「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われました。

実はシモンは、昨晩夜通し漁に行ってきたところだったのです。

しかも一匹も取れなかったのです。

こんなことは滅多にないことでした。

捕れるはずの魚が、まったく一匹も取れなかったのです。

シモンは疲れていました。

やっと網を洗って片づけたばかりでした。

もう体も心もへとへとだったのです。

そのときイエス様が言われたのです。
 
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」。
 
このころイエス様は、すばらしい御言葉を語り、
力ある奇跡やいやしのわざを始めていらっしゃいました。

それで多くの群衆が周りに集まり始めていました。

とは言っても、やはりイエス様は大工でした。

しかし、シモンはプロの漁師でした。

しかもガリラヤ湖に関しては熟知しているプロのプロでした。

ですから、シモンは思わずも、ひとこと言いました。
 
「私たちは夜通し働いたのですよ。それでも何一つとれなかったのです」と。
 
しかし彼は「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」と言って、
主の言われたことに従ったのです。

まさか魚が捕れるとは思ってもいなかったでしょう。

また疲れるだけだと思っていたかもしれません。

けれどもシモンは、イエス様の言葉に従ったのです。

そのとき奇跡が起こりました。

昨晩プロの中のプロだったシモンが夜通し働いても一匹も取れなかった魚が、
イエス様の言葉どおりに従ったときに、
網が破れそうになるほど、たくさんの魚が取れたのです。

彼らの舟だけでは入り切らないので、
仲間の者に合図して、助けに来てもらわなければなりませんでした。

そして魚を両方の舟にあげたところ、あまりにいっぱいだったので2そうとも沈みそうになりました。

これを見たシモンたちは驚き、イエスの足もとにひれ伏して言いました。
 
「私のような者から離れて下さい。私は、罪深い人間ですから。」
 
しかしイエスは、このときシモンにこう言われたのです。
 
「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間を取るようになるのです」。
 
舟が陸に着いたとき、彼らはもう何もかも捨てて、イエス様に従っていきました。

主は、あなたのところにも来られます。

あなたの日々の生活のただ中に来られて、
シモンに語られたように、あなたにも語られるでしょう。

「深みに漕ぎ出して網をおろしなさい」と。
 
そのとき、あなたが、どんなにそれがむだだと思えても、
そんなことをしても何にもならないと思っても、
主がおっしゃる言葉に従ってほしいのです。

シモンが従ったように。

もしあなたが、そのとき、どんなに疲れていても、心が痛んでいても、主の言葉には従ってみてください。

あなたの体の疲れも、心の痛みも忘れてしまうほどの祝福と恵みを、
主は、あなたに用意して、待っていてくださるのです。

驚くあなたに、主はきっと言われることでしょう。
 
「これから後、あなたは人間をとるようになるのです」と。
 
そして、あなたは人生のすべてを、この方に捧げて、すべてを捨てて従っていきたいと思われるでしょう。
 
 
ヤコブとヨハネの召命


シモン・ペテロばかりでなく、
シモンの兄弟アンデレも、
別の兄弟ゼベダイの子ヤコブとヨハネも、
すぐに舟も父も残して、イエス様に従っていきました。 

ヤコブもヨハネも、父が大好きでした。

とても尊敬していたのです。

そして彼らの家は裕福でした。
(網元だったという説もあります)

彼らは約束されている将来も、
大好きな尊敬する父も、そこに置いて、イエス様に従っていきました。

彼らは、イエス様に惚れ込んでしまったのでしょう。

そして、それはまちがいではありませんでした。

彼らは人生のすべてをかけても、決して後悔することのない方に、
否、それどころか、もっとも確かな方に、従っていったのです。

あなたはどうでしょう。

あなたがかけているものは、あなたが心を注いでいる方は、
たった一度だけの、
あなたにしか生きれない人生をかけるのにふさわしいですか。

いつか必ず、あなたにも終わりが来ます。

そのとき、あなたは決して後悔することのない道を歩いておられますか。

イエス様に従って行く道は、決して後悔することのない、確かな、そして最高の道なのです。



取税人マタイの召命


イエス様の弟子の中に、取税人のマタイという人がいます。

当時、取税人というのは、もっともユダヤ人たちからは嫌われ、軽蔑されていました。

というのは、イスラエルはローマの支配下にあり、植民地のようなものでした。

取税人は、そのローマの手先になって、
同胞のユダヤ人から税金を取り立てて、ローマに渡すのです。

しかも、そのときに多く同胞から取り立てて、
自分の懐に入れてピンはねをするのが普通でした。

ですから人々は、罪人と同じように取税人を呼んでいたのです。

ところが、イエス様は取税所に座っていたマタイのところに来て

「わたしについて来なさい」と、彼を呼ばれたのです。

みんなに嫌われていた彼を、イエス様は呼ばれました。

マタイは、すぐに立ち上がって、イエス様に従いました。

イエス様の周りには、取税人や罪人が、たくさんいました。

あるとき彼らがイエス様と一緒に食事をしていると、パリサイ人たちが弟子たちに聞いたのです。


「なぜ、あなたの先生は、取税人や罪人と一緒に食事をするのですか」。


これを聞いていたイエス様は言われました。


「医者を必要とするのは丈夫なものではなく、病人です。」


「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」と。


私の教会に、
この御言葉を通してイエス様に救われ、
いまは宣教師になって、カンボジアに孤児たちの世話に行っている人がいます。

彼女は、自分は罪人だと知っていました。

そして、そんな罪人の自分は愛される資格はないと思っていたのです。

だれも愛してはくれないと思い込んでいたのです。

しかし主は、その彼女を命をかけて愛し、その名を呼ばれたのです。

彼女は、イエス様についていきました。

主が、彼女を呼んでくださったからです。

主は心をご覧になるのです。

罪を知っている心、弱さと痛みを覚えている心を、主は決して蔑まわれません。

その心に来てくださり、救いいやし、そして名を呼んで召してくださるのです。



12弟子の選択

イエス様の周りに群衆が押しかけ、弟子の数が増えていきました。

このころ、イエス様は山に行き、神に祈りながら夜を明かされます。

そして、弟子たちの中から12人をお選びになり、彼らに使徒という名をつけられました。

イエス様は、ご自分の身近に置く12弟子を選ばれるときも、
父なる神に祈り、徹夜して父なる神の御心を聞き、尋ね求められました。

そして、イエス様を裏切ることになるイスカリオテのユダも弟子の中に加えられたのです。

きっと私たちなら、省いてしまうのではないでしょうか。

しかしイエス様は、父なる神様の御心の中にご自分を従わせなさいました。

やがて自分を裏切ることになるユダも、
イエス様は退けることなく、12弟子の中に父に従って入れられたからです。

私たちも大切な決定をするときに、
本当に主の前に出て時間をかけて祈り、時には徹夜して祈り、
主の御心を尋ね求める必要があるのではないでしょうか。

そして私たちの受け入れがたいことを語られたり、示されたとしても、
主が望まれることに、私たちは従っていくべきなのです。

イエス様はそうなさいました。

私たちよりも、はるかに高い計画を持っておられる主の御手の中に、
私たちの思いや考えをゆだねるときに、
初めて私たちも、イエス様が父なる神様に従われたように、主に従っていけるのです。

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