2014年11月11日火曜日

しるしと不思議3

よくなりたいか

べテスダの池の周りには、
たくさんの病人がいましたが、
その中に、38年もの間、
病気で伏せっている人がいました。

イエス様は彼を見たとき、すぐに、それが、もう長い間のことなのが
わかられたのです。

イエス様は、彼に言われました。


「よくなりたいか」


よくなりたいに決まっている
じゃありませんか。

そう思われますか。

私もそう思いました。

けれども牧師になり、
もう30年近くたった今は、
イエス様が、
こう聞かれたのが
わかるような気がします。

考えても見てください。

38年間、
彼は病気で伏せっていたのです。

生まれつきだったとしても、
もう38歳です。

病気になったのが、
もし成人してからなら、
もう60近いことになります。

長すぎました。

あまりにも長すぎたのです。

池の周りに来てはいるものの、
もう彼の中には、
あきらめの気持ちが、
きっと強くあったでしょう。

最初のうちは、
今度こそ池の水が動いたら、
まず初めに飛び込もう。

そしたら直るんだ。
と期待しながら、
待っていたことでしょう。

でも一回、二回、三回、四回と、
いつも誰かが先に行ってしまい、
一年、二年、五年、十年と
経つうちに、
もう彼の中には、
これで一生終わるのではないか
という諦めのようなものが、
あったことでしょう。

でも、そこにイエス様は来られ、
彼に言われたのです。


「よくなりたいか」と。


何年もの間、
もう聞いたこともなかったことばを
彼は聞きました。

そのとき、
この38年間病気で伏せっていた人の中に、
かすかな希望がともり始めたのです。

もしかしたら、
この人が池の水が動くとき、
連れて行ってくれるかもしれない。

本当に久しぶりに、
彼は病気が直るかもしれないという
期待を持ったのです。

病人は答えました。 


「主よ。
私には水がかき回されたとき、
池の中に、
私を入れてくれる人がいません。
行きかけると、もう他の人が先に降りていくのです」

素直に「はい、直りたいです」とは答えられませんでした。

それほどに、
彼はきっと痛んでいたのでしょう。

今までの
悔しさ、悲しさ、苦しさを、
このことばに一気につめて、
イエス様にぶつけたのです。

この人が私を池の中に連れて行ってくれて直してくれるかもしれない、という期待を込めて…。

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