2014年11月16日日曜日

十字架の生涯 イエス・キリスト しるしと不思議 全

あなたの町でも
町をあげてのお祭りがありますか。

私のいる長崎では、
秋に諏訪神社で、
「長崎くんち」
という祭りがあります。

毎年10月7日・8日・9日の3日間
行われます。

これはキリスト教迫害から始まった偶像の祭りですが、
毎年、
県外からも来る人たちがいて、
たくさんの人々でにぎわいます。

イスラエルにも、
お祭りがありました。

「過越の祭り」と
「仮庵の祭り」と
「七週の祭り」
というのは、
その中でも特に大きなものでした。

都のエルサレムに、
イスラエルの中から人々が
やってきました。

今回、お話するのは、
そのお祭りのときの出来事です。

このお祭りが
「過越の祭り」だったのか、
それとも他のお祭りだったのかは、確かなところはわかりません。

天国に行ったとき、
イエス様に聞いてみましょう。

でも、たくさんの人が
お祭りを見るために、
都のエルサレムに
来ていたことは確かでした。

イエス様も弟子たちを連れて、
ユダヤ人の祭りのときに、
エルサレムに上られたのです。


ベテスダの池

エルサレムは、
お祭りを見に来ている人々で、
ごった返していました。

弟子たちも、
きっとイエス様と
いっしょにお祭りに来れたので、
嬉しくて、
楽しみにしてきたことでしょう。

ところが、イエス様は
お祭りなどには目もくれず、

まっすぐに、
べテスダと呼ばれていた池のところ
に行かれたのです。

そこには、
お祭りなどとは
全く関係のない人々がいました。

このべテスダという池の周りには、5つの回廊がついており、
そこに大勢の病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていました。

主の使いが、
時々この池に降りてきて、
水を動かすのですが、
そのとき最初に入った者は、
どのような病気にかかっていても
いやされていたからです。

イエス様は、
そのべテスダに行かれました。

お祭りに浮かれている人々の傍らで
病で、
苦しみ痛んでいる人々のところへ、
主はまっすぐに行かれたのです。

これが私たちの主です。

イエス様です。

もし今あなたが、
困難や苦しみの中で
痛んでいるなら、
主は、
あなたのところに来てくださいます。

周りの人々は、
お祭りに心を奪われ、
あなたのことなど
忘れているかもしれません。

いえ、たとえ心に思っていても、

仕事が忙しすぎて、
あなたのところに
来れないかもしれません。

やらねばならないことが
ありすぎて、
来たくても来れない人も
いるでしょう。

しかしイエス様は、
すべてのことをおいて、
今、痛みの中にいる
あなたのところに
来てくださるのです。

もう、
だれも気にかけなくなって
しまった、
あなたのところに
真っ直ぐ来てくださるのです。

今、あなたが、
どんな病気にかかっていたとしても
あきらめないでください。

今、あなたが、
どんなに孤独の中にあったとしても
失望しないでください。

今、あなたが、
どのような困難の中に
あったとしても、
落胆しないでください。

私たちには、
主イエス・キリストが
おられるのです。

生命をかけて、私たちを愛し、
私たちのところに来てくださる方が
おられるのです。

主イエスは、今、
あなたのところに
来てくださっているのです。

イエス様はべテスダに行き、
ひとりの人に目を留められました。


よくなりたいか

べテスダの池の周りには、
たくさんの病人がいましたが、
その中に、38年もの間、
病気で伏せっている人がいました。

イエス様は彼を見たとき、
すぐに、それが、
もう長い間のことなのが
わかられたのです。

イエス様は、彼に言われました。

「よくなりたいか」

よくなりたいに
決まっているじゃありませんか。

そう思われますか。

私もそう思いました。

けれども牧師になり、
もう30年近くたった今は、
イエス様が、
こう聞かれたのが
わかるような気がします。

考えても見てください。

38年間、
彼は病気で伏せっていたのです。

生まれつきだったとしても、
もう38歳です。

病気になったのが、
もし成人してからなら、
もう60近いことになります。

長すぎました。

あまりにも長すぎたのです。

池の周りに来てはいるものの、
もう彼の中には、
あきらめの気持ちが、
きっと強くあったでしょう。

最初のうちは、
今度こそ池の水が動いたら、
まず初めに飛び込もう。

そしたら直るんだ。
と期待しながら、
待っていたことでしょう。

でも一回、二回、三回、四回と、
いつも誰かが先に行ってしまい、
一年、二年、五年、十年と
経つうちに、
もう彼の中には、
これで一生終わるのではないか
という諦めのようなものが、
あったことでしょう。

でも、
そこにイエス様は来られ、
彼に言われたのです。

「よくなりたいか」と。

何年もの間、
もう聞いたこともなかったことばを
彼は聞きました。

そのとき、
この38年間、
病気で伏せっていた人の中に、
かすかな希望がともり始めたのです。

もしかしたら、
この人が池の水が動くとき、
連れて行ってくれるかもしれない。

本当に久しぶりに、彼は病気が直るかもしれないという期待を持ったのです。

病人は答えました。 



「主よ。私には水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。

行きかけると、もう他の人が先に降りていくのです」



素直に「はい、直りたいです」とは答えられませんでした。



それほどに、彼はきっと痛んでいたのでしょう。

今までの悔しさ、悲しさ、苦しさを、

このことばに一気につめて、イエス様にぶつけたのです。

この人が私を池の中に連れて行ってくれて直してくれるかもしれない、という期待を込めて…。





起きて、床を取り上げて歩きなさい





ところがイエス様は、彼の答えには何も言われずに、

彼の期待していたこととは、全く違うことを言われました。

イエス様は彼にこう言われました。



「起きて、床を取り上げて歩きなさい」



主は、池は必要ではない。

水が動かなくても大丈夫だ。

私は、あなたの考えている方法とは全く違う方法で、あなたを直そう。

あなたが私のことばを聞くなら、

私の権威あることばを聞いて従うなら、

あなたはいま直る。と言われたのです。



「起きて、床を取り上げて歩きなさい」とイエス様の口から、

このことばが解き放たれた瞬間、

この38年間床に伏せっていた人は、直ってしまいました。



そして、主が言われたとおりに、床を取り上げて歩きだしたのです。



イエス様のことばには力があります。

イエス様には権威があるからです。

イエス様が語られたなら、すべてのものはそのことばに従わねばなりません。

病も、悪霊も、自然もです。





主の時



あなたにも、長い間戦い続けている問題が、あるかもしれません。

もう何十年も祈りつづけていることが、あるかもしれません。

あなたの愛する人が、ずーっと病気で、苦しみの中を通られているかもしれません。



長すぎる戦いに疲れを覚え、実は心の中でもうあきらめていたかもしれません。

この祈りは聞かれないのかもしれない。

きっと、この病気は私の十字架なんだ、

そう思われているあなたにも、主は言われます。



「よくなりたいか」



決して、あきらめないでください。

主は、あなたに語られるのです。

そして主が語られたなら、

そのことばは、あらゆる状況を一瞬にして覆すことがおできになるのです。



なぜ、この病気の人のところへ38年目にイエス様は来られたのでしょうか。

5年目でもなく、10年目でもなく、なぜ38年目だったのでしょうか。



私にはわかりません。

でも、これが主の時でした。

確かに、このときが、主の時だったのです。



あなたにも同じように、主の時がくるのです。

主がはっきりと、あなたに語ってくださっている時が来るのです。

確かに、忍耐し待たなければならない時が、私たちにはあるのです。

でも、必ず主の時は来ます。

そして、今これを読んでいるあなたにも、主の時は来ているのです。

まさに今、主はあなたに語っておられます。



「よくなりたいか」と。





主のことばで十分



主が取られた方法は、この病人が考えていたのとは、全く違う方法でした。



主は池の水が動くまで、待つことをされませんでした。

この人を水の中に運ぶことも、されませんでした。



主のことばだけで、十分だったのです。



あなたの中に何年間も持ち続けている方法がありませんか。

こうでなければいけないとか、こうなればきっと直るとか、

あの人が、こうしてくれさえすればうまくいくのにとか思っていませんか。



主が事をなされるのに、それが必要でしょうか。

主は、私たちの方法や考えに縛られる方なのでしょうか。



心を柔らかくして、主イエス様のことばに聞き入りましょう。

主のことばで十分です。

主の御声が語られたなら、それは必ず成るのです。

私たちは、ただ信じて従っていけばいいのです。

それは難しいことではありません。

なぜなら、主は私たちに出来ないことは言われないからです。

いえ、今、あなたが出来ないと思っていても、

主が語られたならば、

そのときから、あなたには、それが出来るようになるのです。



この病人が、38年間伏せっていた床から立ち上がれたように、

今まで全く不可能であったことも、主は私たちのうちに成してくださるのです。





全く新しい人生



38年間彼を縛っていた床を、主は起きて取り上げて歩きなさいと言われました。



しかし、その床を取り上げたとき、まったく新しい彼の人生が始まったのです。



主は、あなたにも言われます。



「床を取り上げて歩きなさい」



あなたは病気で床に伏せってはいないかもしれません。

しかし、きっとあなたにも、今まであなたが生きてきた場所があるはずです。

それは窮屈で、あなたを締めつけてきた場所かもしれませんし、

もしかすると、居心地の良い場所なのかもしれません。



けれども主は、

今までのあなたの人生を縛ってきた過去のものから、

あなたを解き放たれようとするのです。

全く新しい人生のために。



あなたに不信仰を与えた、あなたの古い考えや肉の性質から解放されて、

主のことばに従って歩む、全く新しい信仰の歩みを始めてください。

今まであなたの体験したことのない世界が、あなたを待っています。



主はあなたのところに来て、あなたにことばを与え、

今まで、あなたがどんなに努力しても不可能だったことをなしてくださるのです。



なぜなら、主は、あなたを、愛しておられるからです。

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