2015年1月19日月曜日

イエスが示された愛の極み3

あとでわかる愛

イエス様は弟子たちの足を
ひとりずつ順に洗っていました。
そしてシモン・ペテロのところに
来られました。
すると
ペテロは思わずも言いました。

「主よ。
あなたが、わたしの足を
洗ってくださったのですか。」

するとイエス様は
すぐに答えられました。

「わたしのしていることは、
今はあなたにはわからないが、
あとでわかるようになります。」

イエス様は
「あとでわかるようになる。」
と言われました。
確かに真実の愛、
本当の愛というのは多くの場合、
その時は誤解されたり、
わかってもらえないことが
多いのです。
しかし真実な愛は後の日に、
明らかになるのです。
例えば、
この地上で示された最高の愛である
イエス様の十字架を
考えてみてください。

イエス様が
十字架にかけられたとき、
だれ一人として
イエス様の十字架を
理解した人はいなかったのです。
イエス様は
私たちの罪の身代わりとなって、
ご自分の命を捨てて、
死にまで従って
十字架の上で苦しみを
受けてくださったのです。

しかしそのとき、
手塩にかけた弟子たちは
逃げていきました。
筆頭弟子のペテロは
呪いをかけてイエス様を否み、
知らないと言いました。
亜麻布を脱ぎ捨てて、
裸で逃げた弟子たちもいました。

イエス様の愛に
まるで恩を仇で返すようにしたのは
弟子たちだけではありません。
群衆は
イエス様を十字架につけろと叫び、
彼らの罪のために
苦しんでいるイエス様に、
十字架から降りてきたら
信じてやると
罵声を浴びせかけたのです。
だれも
イエス様の愛が
わかっていませんでした。
それどころか、
必要とさえ思っていなかったのです。

ガリラヤから来た女たちは
確かにイエス様を愛していました。
ですから悲しくて、
辛くて泣いていました。
しかし彼女たちでさえ、
イエス様が
自分のために
十字架で死んでくださっている
ということは
わかっていなかったのです。
この時だれ一人として、
イエス様の十字架が、
自分の救いのために必要で、
イエス様が
そのために生命をかけて贖い
愛を示してくださっている
ということを理解している人は
いなかったのです。

イエス様は
最も大きな最高の愛を示している
その只中で誰にもわかってもらえず、たった独りぼっちで
孤独だったのです。
そして父なる神様にまで
私たちの身代わりに捨てられて、
本当に孤独の中を通られたのです。

しかし今、
イエス様は全世界に
時代と歴史を越えて
ご自分を心から愛し、
殉教してでも従ってくる弟子たちを
お持ちになっています。

これが真実な愛が見る実なのです。

本当の愛は
後の日に
必ず豊かな永遠に至る報いと実を
つけるのです。

もしも今、あなたが誰かのために、
真実に主の愛をもって
愛していたとしても、
理解されず全くわかってもらえず、
それどころか
誤解と中傷の中にいたとしても、
すぐに投げ出したり
しないでください。
心は痛むかもしれません。
けれども真実な愛は
必ず後の日に
豊かな報いをもたらすのです。
天にまで及ぶ永遠にいたる実を
必ずつけるのです。
だから主の愛をもって
イエス様がなされたように
私たちも無理解と誤解の中で
愛を示し続けましょう。

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