2015年1月19日月曜日

イエスが示された愛の極み2

弟子たちの足を洗われるイエス

イエス様の回りを取り込んで
12人の弟子たちが、
みんなそろって
夕食を食べていました。

すると突然、
イエス様は
夕食の席から立ち上がり、
上着を脱ぎ、
手ぬぐいを取って
腰にまとわれたのです。
それから、たらいに水を入れ、
回りにいた弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められました。

弟子たちの足は
とても汚れていました。
当時は立派な履物などは
ありません。
それどころか、
裸足でいた人もいたほどです。
日本でいえば
地下足袋のような履物を
はいていたのでしょう。
足も今のようなズボンではなく、
むしろ女性のスカートに近いものを
はいていました。
ですから、足は、
とてもとても汚れていたのです。
その汚れきっていた弟子たちの足を
イエス様は
一人ずつ洗われたのでしょう。

それは弟子たちへの
模範を示すためでした。
愛することの
模範を示すためでした。
愛することの模範を
足を洗って弟子たちに
示されたのです。

師であり、
先生であったイエス様が、
弟子たちの一番汚れていた場所を
洗ってくださったのです。
人が、だれかを好きになったり、
愛していると言うときは、
その人の何かが、
あるいはどこかが、
自分の好みにあっていると
いうことです。
ですから、
しばらくするといやになったり、
その人の思っていたことと違って
期待はずれだったりすると、
もう嫌いになってしまいます。
残念なことに、
場合によっては
愛が憎しみに変わることさえ
あるのです。

しかしイエス様は違います。
私たちが、
何かが出来るから
愛してくださるのでも、
姿かたちが格好良くて、
イエス様のお気に入りのことを
するから愛してくださるのでも
ないのです。
それどころか、
イエス様は
私たちの最も醜いところを
そのまま受け止め
愛してくださるのです。
自分でも見たくないような、
見ようとしないような
醜い汚れきったところを
イエス様の十字架の愛と血潮で
洗い流し、
清めてきれいに
してしてくださるのです。

これがイエス様の示された
愛でした。
これが
私たちの主、イエス・キリストです。

愛が憎しみに変わることなど
イエス様にはありえないのです。
イエス様が愛してくださった
真実な愛は憎しみは変わることなど
ないからです。

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