2015年3月1日日曜日

ゲッセマネの祈り3

見捨てられない主


イエス様は、

またも彼らを置いて祈りに行かれ、

もう一度同じことをくり返して

三度目の祈りをされました。

それから、

イエス様は弟子たちのところに来て

言われました。


「まだ眠って休んでいるのですか。

もう十分です。時が来ました。

見なさい。

人の子は罪人たちの手に渡されます。

立ちなさい。さあ、行くのです。

見なさい。私を裏切る者が

近づいてきました。」


こうして

イエス様は捕えられたのです。

もうそのころには

夜が明けかけていました。


弟子たちは

そのとき散り散りになり、

イエス様を一人残して

逃げていきました。

ゲツセマネで

眠ってしまう弟子たちには

とても耐えることのできない

試練だったのです。


しかしイエス様は

ゲツセマネで眠り、

十字架のときに逃げ出してしまった

弟子たちを

けっして見捨ては

されなかったのです。


シモン・ペテロは

ゲツセマネで眠りこけ、

十字架のときには、

イエス様の後を

おいかけてついていきながら、

主に前もって言われた通りに、

鶏が二度泣く前に、

三度知らないというのです。

ふりむいたイエス様と目があった時

裏切ったペテロは

外に出て号泣したのです。

しかし、このペテロが

あのペンテコステの日に

立ち上がって説教し、

三千人の人たちが改心するために

用いられたのです。

何が彼を変えたのでしょうか。

それは、

復活したイエス様に出会ったペテロが、

主のことばに従って、

祈って聖霊を待ち望んだからでした。


ペテロが真剣に祈って待ち望んだ時

ゲツセマネで

眠りこけていたペテロでさえも

聖霊の恵みによって

大きく変えられたのでした。

イエス様は眠りこけ、

呪いをかけて

イエスを知らないと言ったペテロを

赦してくださり、

彼の弟子としての選びと

使徒としての使命

捨てられはしなかったのです。

いえ、それどころか、

そのペテロに復活されたあと現れて、

彼をはげまし

祈りへと導かれたのでした。 


あなたが今、

イエス様の足跡に従っていきたいと

心から願いながら、

ペテロのように、

肉体の弱さを覚えて、

眠りこけてしまっていたとしても、

落胆しないでください。

主はそのあなたを選び、

そのあなたに使命を与えて、

祈りへと必ず導いてくださるのです。

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