2015年3月25日水曜日

十字架の生涯 第18回 さまざまな裏切り4

ついて行けなかったペテロ

 イエス様は十字架にかかる前の晩、
最後の晩餐の席について弟子たちと過越の食事をされました。
このとき初めての聖餐式が、
イエス様によって弟子たちとともに行われたのです。

 そして、賛美の歌を歌ってから、
みんなでオリーブ山に出かけて行かれました。
 イエス様はそこで弟子たちに言われました。

「あなたがたはみな、つまずきます。
『わたしが羊飼いを打つ。すると羊は散り散りになる。』
と書いてありますから。」

さらにイエス様はペテロには、こうも言われました。

「シモン、シモン。見なさい。
サタンが、あなたがた麦のふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、
あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

 イエス様はペテロに、
シモンと生まれつきの名前を呼んで、
あなた方はサタンにふるわれてしまう。
つまり信仰の破船に会いつまずいてしまう、と言われたのです。
ペテロ、すなわちシモンは黙っていられません。
思わずも言いました。

「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。
主よ。ごいっしょなら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」

しかし、イエス様は言われたのです。

「ペテロ。あなたに言いますが、
きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、
あなたは三度、わたしを知らないといいます。」

このとき、ペテロは本気でした。
心のそこからイエス様を愛していたのでした。
イエス様を知らないなどということを考えることは出来なかったのです。

 しかしペテロは主が言われたとおり、
イエス様を知らないと鶏が二度鳴く前に言ったのでした。
どうしてでしょう。
こんなに主を愛していたのに。
ここまで全てを捨てて従ってきたのに。
なぜ一番大切なときに、
ペテロはついていけなかったのでしょう。

 それはペテロが、
あのゲツセマネで眠ってしまったからでした。
一時間でも祈ることができなかったからでした。
私たちは祈らなければ、主に従ってはいけないのです。
どんなに愛していても、
祈りがなければ、その愛は力がないのです。

 サタンにふるわれるとき、
私たち人間のどんな熱心も、熱意も、堅い堅い決意と意思も、
あっけなく崩れていくのです。

真実な愛は私たちを祈りへと導きます。
祈るとき、
私たちの愛は
神の力によって本物になっていくのです。
どんな状況の中でも、
どんな困難の中でも、
主を愛して従っていく力を与えてくれるのです。

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