神様は祈りを聞いておられ、
祈りに応えられる神様。
私達は祈った事も忘れてしまう事さえある。
しかし神様はお忘れにならない。
私は1982年4月11日イースターの時
福音派の教会で受洗した。
受洗して間もない頃、イエス・キリストの
深い愛に圧倒され、祈った祈りがある。それは
「主の十字架のみ跡を歩んで行く事ができますよう
魂を砕いて下さい。」と…今はとてもこんな祈り
は出来ない。魂を砕く為の訓練がくるから、真実な
主は祈りに応えられるから…
その時は「主の十字架クリスチャンセンター」という
教会がある事さえ知らなかった。
数年たち神様に今後の歩みの導きを祈っている時、
「あなたの祈りを私は聞いた」と語られ主の十字架に
転会する事を導かれた。
確かに試練や訓練は数多く許された。しかしその中で
イエス・キリストの十字架の深い愛をたくさん知った。
主は私の魂を救うために、罪を犯した事のない方が
罵倒されても、罵られても誤解されても一言もお答えに
ならなかった。身代わりに十字架にかけられながら、
それでも「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何を
しているのか自分でわからないのです。」と祈られた主。
これ程の愛があろうか。
主は真実なお方。
祈りに応えられるお方。その時は知らなかったけれど
主の十字架を歩む群れに導かれた。
神の恵によらなければ歩めないけど、真実な主は
試練と同時に脱出の道も備えて下さるお方
感謝という脱出の道を今日も歩もう。
肉は従えないけど、神のものとなった魂は霊は
主の十字架のみ跡を歩む事を喜んでいる。
シオン
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