2014年12月31日水曜日

チャリティーコンサート♪

先日行われたチャリティーコンサートはとても祝福されました!
お父さんがコンサートにやってきたことが何よりも嬉しかったです !*\(^o^)/*

Hope

2014年12月30日火曜日

第14回目 十字架の生涯 ナルドの香油

ナルドの香油


エルサレムから

3キロメートル離れたところに

ベタニヤと言う町があります。


このベタニヤには、

かつてイエス様によって

死からよみがえったラザロと

その姉妹であるマルタとマリヤが

住んでいました。


そのことは以前に書いたので、

そちらを読んでください。


今回は、

そこに住んでいたシモンと言う

らい病人の家で起こったことを

書きたいと思います。



らい病人の家にこられた主


当時らい病人は、

人々と共に住むことは

出来ませんでした。

それどころか、

家族からさえも、隔離されて

「らいの谷」というところに

居なければならなかったのです。


なぜなら、らい病というのは、

単なる病気というのではなく

汚れた病気というふうに

考えられていました。

すなわち、宗教的にも汚れており、神に呪われていると

考えられていたのです。


それなのに、このシモンさんは、

ベタニヤの町に住んでいることが

できたのです。

おそらく、もうらいが

完全に直っていたのでしょう。

とはいえ、

かつてらいであったというだけでも

人々は避けるはずですが、

イエス様は避けるどころか、

そのらいだったシモンの家に

来られたのです。


人々が、

神に呪われていると思われていると考えられている人のところへ、イエス様は来たのです。そして共に食卓につかれました。その人の生活のただ中に来てくださったのです。そこには死の床からイエス様によってよみがえらされ復活の奇跡に預かったラザロもその姉妹のマリヤとマルタたちもいました。

(惜しみなく注がれた香油)

 その時、突然一人の女性がイエス様に近づいてきました。彼女はその手に純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエス様の頭の上に注いだのです。

 この純粋なナルド油というのは、ヒマラヤ原産のナルドという植物の根茎から取った香料による香油で、非常に高価なものでした。

 当時、女性たちは、自分が得たお金をこんな風にして、純粋で高価なナルド油に変えて、つぼの中にためていたのです。今ふうに言えば、結婚準備のための積立貯金のようなのでした。

 しかしそれは現代の貯金なんかよりもはるかに真剣なものだったようです。少し大げさな言い方をすれば、女性のそれまでの生命そのもの、生活そのものだったのです。

 この女の人は、そのつぼをイエス様のために割ったのでした。そしてこの最高の香油をイエス様に注いだのです。

 それは単に心のこもったおもてなしという以上のものだったのです。なぜなら、このつぼはこの人がいつか結婚するときのために蓄えてきた彼女の生命そのものだったからです。

この人はイエス様を愛するあまり、今までの自分の人生そのものをイエス様に捧げたのでした。大切に大切に蓄えてきたものをイエス様に注ぎ出したのでした。

 イエス様への熱い思いと愛が、この人にそうさせたのです。それは誰から言われたのでもなく、この人の心の底からあふれてきたイエス様への愛がそうさせた行動でした。

(愛は計算や効率を越える)

 ところが弟子たちの何人かは、これを見て憤慨して言いました。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、300デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そう言ってこの女の人をきびしく責めたのです。

確かに弟子たちの言うことは妥当なことに思えます。と言うのも貧しい人に施しをすることはユダヤ人にとっては重要な奉仕であったからです。

 この女の人のつぼの中には、300デナリ以上に売れるだけの香油が入っていました。当時普通の労働者の1日の賃金は、1デナリでした。ですから、300デナリというのは普通の労働者の300日分の給料に匹敵します。たったひとりの人に一瞬に香油を注いでしまうより、この香油を売って多くの貧しい人を助けるほうが、はるかに効率が良いではないか。弟子たちはそう思ったのでしょう。

なるほど普通に考えれば弟子たちの言うことは妥当に思えます。しかし弟子たちは一番大切なものを見落としていました。それはイエス様へのこの女の人への愛でした。愛は効率や計算では動かないのです。そして愛は、人の計算や効率を超えてはるかに大きなことを成すのです。

 この女の人にとっては、イエス様に今までの人生を注ぎ出すことも、300デナリになる香油を一瞬にして失うことも全く惜しくなかったのです。このひとは計算や打算で動いたのではありませんでした。イエス様への愛がこの人を動かしたのです。本当の愛は計算しないのです。

(自分に出来る事をしただけ


2014年12月29日月曜日

王室の役人の息子のいやし6

主はあなたにも

主は、あなたにも
同じことを
することがお出来になります。

今、あなたが困難の中にいるなら、
あなたの家族が
苦しみの中にあるなら、
ためらう事なく、
主のもとに来てください。

主は私たちの不可能のかなたから、
その愛の御手を伸ばして
奇跡と勝利を与えてくださるのです。

あなたにとって、
もっとも悲しむべきことが、
あなたの家族にとって、
もっとも痛ましく思えることが、
神の愛と現実を知る
祝福の始まりになるのです。

私たちの信じている神は、
それをしてくださるお方です。

王室の役人の息子のいやし5

主のことばの真実

彼がカペナウムに戻っていくために
家路を急いでいると、
向こうから
彼の家のしもべが
やってくるではありませんか。

しもべたちは主人を見つけると、
息せき切って言いました。

「あなたの息子さんは
いやされました。
完全に直られたのですよ。」

父親は大喜びしながら聞きました。

「息子はいつ直ったのだ。
その時刻は。」

「きのうの7時です。」

その答えを聞いたとき、
彼は驚きを隠せませんでした。

それはまさにイエス様が、

「あなたの息子は直っている」

と言われた時刻だったからです。

主の力ある命のことばが語られた時
同じ時刻に息子は直っていたのです。

主は生きておられます。

主は愛を持って
私たちの願いと叫びに
答えてくださいます。

父親は喜びにあふれて
大急ぎで家に帰りました。

そして、
このことを家族のみんなに
話したのです。

彼はもちろん、
いやされた息子もお母さんも
兄弟たちも家族のものはみんな
彼とともに
イエス様を信じたのです。

これが
イエスのもとに来た王室の役人に
与えられた勝利でした。

死にかけた息子を抱えた父親に
与えられたすばらしい報いでした。

この息子の病気は、
この家族にとって、
そして王室の役人にとって、
とっても悲惨な悲しむべき
ことでした。

彼らには、
もう希望はなかったのです。

それどころか絶望感と無力感しか
残っていませんでした。


しかし、
主イエスのことを聞いたとき、
この父親に信仰が与えられ、
家族に希望が与えられ、
彼らが
イエス様のところに来たときに、
このもっとも悲しむべき悲劇が、
この家族にとって
もっとも喜ぶべき祝福の始まりに
変わったのです。

死にかけた息子も王室の役人も、
そして家族までが
永遠の命を受けたのです。

もっとも大切なものを
この病気を通して与えられたのです。

この試練を通して
家族全員が、
イエス様を
信じることができたのです。

これが何よりもすばらしい
彼らへの祝福でした。

これが主です。

私たちの信じている
イエス・キリストです。

2014年12月27日土曜日

王室の役人の息子のいやし4

愛によって働く信仰

王室の役人は、
イエス様の一見すると
冷たい突き放すようなことばにも
決して引き下がりませんでした。

彼は息子を
何としても助けたかったのです。

心の底から愛していました。

そうです、
彼は息子を愛していたのです。

だから
イエス様の冷たく聞こえることばで
すぐに引き下がったり
あきらめたりは出来なかったのです。

彼はイエス様に食い下がり、
しがみついたのです。

彼は言いました。

「主よ。
どうか私の息子が死なないうちに
くだって来て下さい。」

彼は信じていました。

イエス様が
来てくださりさえすれば
息子は必ず直ると。

決して息子は死にはしないと。

父の息子に対する愛が、
イエス様への信仰とひとつになって
働いたのです。


そのとき、
イエス様は
命のことばを語られたのです。

私たちも彼から学ぶ必要があります。

私たちも愛する者のために
主に懇願しているのに、
すぐに答えが来ないことがあります。

それどころか、
むしろ冷たく思えるような
主のことばを聞いたりするときさえ
あるかもしれません。

そんなとき、
これは御心ではないのだと、
すぐにあきらめたり投げ出したり
してしまいやすいものです。

しかし、
本当にその人を愛しているならば、
そして、
主に信頼し期待しているならば、
そのようなときにこそ、
主の前に祈り続け、
しつこいぐらいに
食い下がるべきなのです。

なぜなら
愛は決してあきらめないからです。

王室の役人の主に対する信仰と
息子への愛が
ひとつになって働いたとき、
イエス様は心動かされ、
命のことばを語られました。

イエス様は彼に言われました。

「帰って行きなさい。
あなたの息子は直っています。」

王室の役人は
イエス様のこのことばを聞いたとき
信じたのです。

今までは
『とにかく来てもらえば直る』
と信じていたのですが、
このときは、
ただ
イエス様のことばを聞いただけで
彼は信じたのです。

この言葉だけで十分だ。

息子はきっと直っていると
彼は
イエス様のことばを信じたのです。

イエス様のことばには
彼を信じさせる力がありました。

命が流れていたのです。

王室の役人の息子のいやし3

主のチャレンジ

王室の役人は
カナにたどり着くと
すぐにイエス様のところに行き、
下ってきて
息子をいやしてくださるようにと
懇願しました。

イエス様ならば、すぐに
「わかりました。行きましょう。」
と言ってくださると
彼は期待していました。

ところが主は言われたのです。

「あなたがたは
しるしと不思議を見ないかぎり、
決して信じない。」

まるで突き放すかのような
ことばですね。

でも、
これは突き放しているのではなく、
あなたは、
私がしるしと不思議を行うから
信じてるのか。

私が何かをするから
信じているのか。

もちろん、私は何かをする、
奇跡もいやしも私は喜んでなそう。
しかし、
何かをするから信じるのではなく、
私自身を信じなさい。
私を信じる者になりなさい。と、
イエス様は
言いたかったのではないしょうか。

例えばこういうことです。

あなたが
もしリストラで職を失ったとき、
あなたの愛する奥さんが、
あなたに
お金をもうけてこないなら、
あなたなんかいてもしかたないわ。
粗大ゴミよ。
と言ったらどうでしょう。

これはあなたでなく、
あなたが儲けてくる
お金が大事だった
ということですね。

ところが、
お金なんか仕事なんか二の次よ。

とにかく、
あなたが元気でいてくれるだけで
嬉しいと言われたら、
これは本当の愛ですね。

イエス様も私たちと、
このような本当の愛の関係で
かかわりたいと
願っておられるのです。

何かをしてもらえるからとか、
得になるからというだけでなく、
イエス様ご自身を
愛し信じるものになってほしい
と言われたかったのでしょう。

とは言っても、
イエス様は、
この王室の役人の死にかけている
息子を直してあげることは、
もちろん
喜んでしてくださる方でした。

でもそれだけでなく、
この王室の役人に
もっと深く、
もっと強く
主を愛し信じる信仰を
与えたかったのです。

2014年12月26日金曜日

王室の役人の息子のいやし2

王室の役人

イエス様が、
エルサレムからサマリヤを通って、
再びガリラヤのカナに
来ているということは、
すぐに、
ガリラヤの地方に広まりました。

そして、その噂を聞いて、
多くの人々が、イエス様のところに
やってきました。

その中に、
カペナウムという町に住んでいた
王室の役人がいました。

この人は、
カナから30キロ以上離れている
カペナウムという町から
やって来たのです。

今ですと車ですぐですが、当時は
そういうわけにはいきません。

一日近くかけて、
イエス様のところに来たのです。

実は、
この王室の役人の息子が
病気にかかってしまっていたのです。

しかも、
ただの病気ではなく、
死にかかっていたのです。

お父さんは、
名医とも呼ばれる人たちを呼び、
高い薬も投薬し、
何とかして、
この子を助けようとしました。

惜しみなくお金をかけ、
彼が今まで培ってきた
ありとあらゆる人脈を使い、
彼の社会的立場も利用して、
何とかして、
この愛する息子を
助けようとしたのです。

しかし、だめだったのです。

どんなに手を尽くしても
無駄だったのです。

息子は直るどころか、
ますます悪くなる一方で、
もう死を待つしかないというところ
まで追い込まれていました。

そのとき、
イエス様が、
ガリラヤのカナに来ておられる
という噂を聞いたのです。

この方は、
このカナで、
かつて水をぶどう酒に変えられ、
いろんなところで、
あらゆる病気をいやし、
らい病人を清め、
しるしと不思議の業を行いながら、
人々を救い助けておられる
ということを耳にしたのです。

王室の役人は、
そのことを聞いたとき、
すぐに、このイエス様のところに
行こうと決心したのです。

そうすれば、
きっと助けてくださる。

きっと息子を救いに、
こまで来てくださると
信じたからです。

そしてそう思ったときには、
もう彼は、
しもべたちにカナまでの旅支度を
命じていました。

気づいたときには、
彼はもうカナに向かっていました。

彼は愛する息子のために
イエス様のところに
期待と信仰を持って
出かけて行ったのです。

私たちの人生にも、
自分の持っているものを、
どんなに使っても、
どうにもならない問題が
許されることがあります。

どんなにお金があっても、
社会的立場や権力があっても、
知恵や才能や能力があっても、
それで、どうすることもできない
ことがあります。

そんなとき私たちは、
もうおしまいだと思い、
悲観し絶望してしまうのです。

特に自分の愛する者が
苦しんでいるときに、
どんなに愛していても、
自分が何もしてあげれないと
わかったときに、
私たちは言い切れない
やりきれなさを
覚えるのではないでしょうか。

しかし、
そんなときこそ喜んでください。

なぜなら、その時こそ、
まさに私たちが
生きて働かれる主にお会いし、
神を体験する用意ができた
ときだからです。

もし私たちが主を知らず、
神が、いらっしゃらないならば
もうおしまいです。

しかし、そうではありません。

私たちには、
助けてくださる主がおられるのです。

私たちを愛し、
不可能を可能にしてくださる
神がおられるのです。

確かに
イエス様は今も生きて働いて、
私たちを助け、
救い出してくださるのです。

ですから、
私達は失望することはありません。

もしあなたが今、
自分でどうすることもできず、
愛する者のために、
心を引き裂かれるような思いの中に痛んでいるなら、
この王室の役人のように、
今すぐ、
主イエスのもとに来てください。

この方は、
あなたの手の届かないところに
愛と奇跡の手を伸ばし、
救い助けだしてくださるのです。

あなたの祈りと願いを聞いて、
必ず答えてくださるのです。