2015年3月1日日曜日

オーケストラ♪

今日から長崎教会でオーケストラが本格的に始まりました。 
なかなか素敵でしたd(^_^o) 
今後のオーケストラの展開が楽しみです(≧∇≦) 


Nozomi

2月28日の番組

2月最後の放送は、木原純子牧師とPEACEのお二人がパーソナリティーでした。
お二人は親子であります。PEACEは高校を卒業して、新しい生活が始まります。
それに、いただきました静寂さんからのお便りの紹介、リクエストと番組はすすみます。
メッセージは、士師記6章より、「あなたのその力で行きなさい」と、ありました。
挿入曲は「New Life」「未来」「永遠の愛」「詩篇53」でした。



ゲッセマネの祈り3

見捨てられない主


イエス様は、

またも彼らを置いて祈りに行かれ、

もう一度同じことをくり返して

三度目の祈りをされました。

それから、

イエス様は弟子たちのところに来て

言われました。


「まだ眠って休んでいるのですか。

もう十分です。時が来ました。

見なさい。

人の子は罪人たちの手に渡されます。

立ちなさい。さあ、行くのです。

見なさい。私を裏切る者が

近づいてきました。」


こうして

イエス様は捕えられたのです。

もうそのころには

夜が明けかけていました。


弟子たちは

そのとき散り散りになり、

イエス様を一人残して

逃げていきました。

ゲツセマネで

眠ってしまう弟子たちには

とても耐えることのできない

試練だったのです。


しかしイエス様は

ゲツセマネで眠り、

十字架のときに逃げ出してしまった

弟子たちを

けっして見捨ては

されなかったのです。


シモン・ペテロは

ゲツセマネで眠りこけ、

十字架のときには、

イエス様の後を

おいかけてついていきながら、

主に前もって言われた通りに、

鶏が二度泣く前に、

三度知らないというのです。

ふりむいたイエス様と目があった時

裏切ったペテロは

外に出て号泣したのです。

しかし、このペテロが

あのペンテコステの日に

立ち上がって説教し、

三千人の人たちが改心するために

用いられたのです。

何が彼を変えたのでしょうか。

それは、

復活したイエス様に出会ったペテロが、

主のことばに従って、

祈って聖霊を待ち望んだからでした。


ペテロが真剣に祈って待ち望んだ時

ゲツセマネで

眠りこけていたペテロでさえも

聖霊の恵みによって

大きく変えられたのでした。

イエス様は眠りこけ、

呪いをかけて

イエスを知らないと言ったペテロを

赦してくださり、

彼の弟子としての選びと

使徒としての使命

捨てられはしなかったのです。

いえ、それどころか、

そのペテロに復活されたあと現れて、

彼をはげまし

祈りへと導かれたのでした。 


あなたが今、

イエス様の足跡に従っていきたいと

心から願いながら、

ペテロのように、

肉体の弱さを覚えて、

眠りこけてしまっていたとしても、

落胆しないでください。

主はそのあなたを選び、

そのあなたに使命を与えて、

祈りへと必ず導いてくださるのです。

2015年2月28日土曜日

ゲッセマネの祈り2

十字架の生涯 
第17回目 ゲツセマネの祈り2

ひとりで祈られるイエス

イエス様は祈られてから
弟子たちのところに
戻って来られます。
その時、
弟子たちは眠っていました。
それを見て、
イエス様はペテロに言いました。

「シモン。眠っているのか。
   あなたがたは、ほんのひととき、
   たったの1時間でさえ、
   わたしといっしょに
   目をさましていることが
   できなかったのか。
   誘惑に陥らないように、
   目をさまして、
   祈り続けていなさい。
   心は燃えていても、
   肉体は弱いのです。」

そう言って、
イエスは再び離れて行き、
祈られました。

「わが父よ。
どうしても
   飲まずには済まされぬ杯でしたら、
   どうぞみこころのとおりを
   なさってください。」

イエス様が
また弟子たちのところに
戻って来て、ご覧になれると、
弟子たちはまたも眠っていました。彼らはひどく眠気がさして
目を開けていることが
できなかったのです。

彼らは

イエス様にどう言ってよいか、

わかりませんでした。


イエス様は、ゲツセマネの園で

たった一人ぼっちでした。

信頼して連れて行った弟子たちは

どんなに注意を与えても

眠ってしまっていました。

イエス様にとって、

最も重要な特別な時に、

彼らは起きていることが

できなかったのです。

すぐそばで

血のような汗を流して

祈っているイエス様を見ながら、

彼らは眠ってしまったのです。


イエス様は十字架のときに

弟子たちに逃げられ、

裏切られたのではありません。

その前に、

イエス様が父なる神に

悲しみもだえながら

祈りの苦闘をしているときに、

すでに一人で戦っていたのでした。

眠ってしまった弟子たちは、

十字架のとき、

逃げるしかなかったのです。

しかし、

その孤独の中で

祈られたイエス様は、

十字架という父なる神から託された

この地上に遣わされた

最も重大な使命を

しっかりと受け取られたのでした。


私たちも主に従っていくとき、必ず、

誰にも理解してもらえない

孤独な時を通ります。

この人だけには

わかってもらいたいと思う人が、

一番大切なときにいなかったり、

眠りこけていたりすることがあります。

そんなとき、

たった一人で主の前に出て

祈らなければならなくなってしまいます。

でも、

その時に思い出してほしいのです。

私たちの主は、

十字架を前にしてゲツセマネで、

まさにそこをとおられたのでした。


あなたも、

その孤独な祈りの戦いを

通り抜けたとき、

すばらしい主の勝利があるのです。

祝福いっぱいの白馬キャンプ♪

今年の白馬スネルゴイキャンプは本当に祝福されました!!
写真を見返すといろいろな思い出がよみがえってきます( ´ ▽ ` )ノ
1ヶ月前にお母さんが召天してからいろいろなことがあったのですが、本当にキャンプに参加してよかったと心底思います!
キャンプに参加して神様からたくさんの御言葉を受け、慰め、励まし、力を受けました。(*^^*)
全国の教会の方々との祝福された交わり、
同世代の岐阜&船橋の信仰の友との新しい出会いと関わり、本当に充実した2泊3日でした。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
白馬キャンプを祝福してくださった神様に心から感謝します!*\(^o^)/*


Nozomi

十字架の生涯ーイエス・キリスト ゲッセマネの祈り1

十字架の生涯
第17回目 ゲツセマネの祈り

捕らえられる前に祈られた主

イエス様が十字架にかかるときが、
ついにやってきました。

最後の晩餐を終え、
イエス様は、弟子たちとともに、
ケデロン川筋の向こう側に
出て行かれました。
そして、そこにある園に
弟子たちにといっしょに
入っていかれました。
その時です。
12弟子の一人であったユダが、
一隊の兵士たちや
剣や棒を手にした多くの群衆と、
祭司長、パリサイ人たちから
送られた役人たちを引き連れて、
イエス様を捕らえにきたのです。

しかしこのとき、
イエス様は全くたじろぐことも、
恐れることも、慌てることもなく、
むしろイエス様のほうから、

「誰を探すのか。」

と彼らに言われたのでした。

彼らが「ナザレ人イエスを。」
と答えると、
イエス様は「それは私です。」と自分
のほうから彼らに答えられました。
それほど落ちついておられました。イエス様があまりに落ちついて
堂々としておられたので、
彼らのほうが
思わずもあとずさりして、
地に倒れてしまったほどでした。

イエス様は口づけで裏切ろうとしていたユダにさえ、

「友よ。」

と声をかけられたのです。
それほどに
心に余裕を持っておられました。

また驚いた弟子の一人である
シモン・ペテロは剣を抜いて、
思わずも大祭司のしもべに
撃ちかかり、
右の耳を切り落としてしまいます。
ところがこの時も、
その瞬間、
イエス様はペテロに言われたのです。

「剣をさやに収めなさい。
父がわたしに下さった杯を、
どうして飲まずにいられよう。」

そう言って、
そのしもべの耳にさわり、
直してやられたのです。

何という心の余裕、
何という落ち着きでしょう。
イエス様は神の子だったから、
十字架を前にしても
こんな余裕があったのでしょうか。
もちろんイエス様は神の子でした。

しかし、私たちと同じ人と
なって下さった人の子だったのです。
イエス様が、
こんなに余裕があったのは、
実はこの十字架を前にして、
捕らえられる直前に
祈られたからでした!
血のような汗を流しながら
父なる神の前に
祈られたからでした。
だからこそ、
イエス様は裏切る弟子たちにも
動揺する事なく、
愛を示し、
父から与えられた
ご自分の杯である十字架に向かって
真っ直ぐに
進んで行かれたのでした。

イエス様が
捕えられる前に祈られた祈り、
それは「ゲツセマネの祈り」として
とても有名です。

今回は、
そのゲツセマネの園にともに行って
イエス様の祈りと言葉に
耳を傾けてみましょう。


苦しみもだえて祈られるイエス

イエス様は、最後の晩餐が終わると
弟子たちといっしょに
ゲツセマネに来られました。
このゲツセマネというのは、
イエス様が、たびたび弟子たちと
会合された場所でした。

実はこのとき、イエス様には、
十字架が、
もう直前にまで迫っていたのです。

それを知って、イエス様は、
弟子たちに言われました。

「私があそこに行って
祈っている間、
ここにすわっていなさい。」

そう言ってからイエス様は、
ペテロとゼベダイの子ヤコブと
ヨハネの3人だけをいっしょに連れて
祈りに行かれました。

イエス様は悲しみと深い恐れで
苦しみもだえ始められたのです。
イエス様は、彼らに言われました。

「私は悲しみのあまり死ぬほどです。
ここを離れないで、私と一緒に
目をさましていなさい。」

イエス様は、
いっしょに祈っていなさい
とは言われませんでした。
ただ目をさましていなさい
と言われたのです。
でも弟子たちは
目をさましていることさえ
できなかったのです。

石を投げれば届くほどのすぐそばで
イエス様は、
ひざまずきひれ伏して
祈っておられました。
今まで見たこともないほど
苦しみもだえながら、
切に祈っておられました。
あのイエス様が、
こんなにも苦しみながら
父なる神に祈られたのです。

イエス様は、
これからかかる十字架を
知っておられました。
罪を犯したこともなく、
罪を知らない方が、
罪を、
その身に負わなければならないことも、
サタンの呪いを、
その身に負わなければならないことも、
イエス様は知っておられたのです。

しかし何よりも
イエス様が苦しまれたのは、
父なる神に捨てられなければならないことでした。
主はいつも
父なる神とともにおられました。

いつも、
どんなときでも、
イエス様は
父なる神と一つだったのです。

それゆえ、
主はこんなにも苦しみながら
血のような汗を流して
祈られたのでした。

「アバ。父よ。
あなたにおできにならないことは
ありません。
どうか、みこころならば、
この杯を私から取りのけ、
過ぎ去らせてください。
しかし、
わたしの願うようにではなく、
あなたのみこころのように、
なさってください。」と。

イエス様が十字架を前にして
あんなにも堂々としていられたのは、
このゲツセマネの祈りが
あったからでした。
主は祈りの中で苦しみぬかれ、
そして勝利されたのでした。

私たちにも
十字架が許されることがあります。
そんなとき、私たちも、
まず主の御足の後に従って
ゲツセマネに行きましょう。
祈りの場に行って、
十字架を負う前に主に叫び、
心を注ぎ出して、
イエス様のように
勝利を受けましょう。
そのとき私たちは
十字架を喜んで
引き受けることができるのです。

2015年2月27日金曜日

チャペルコンサート♪

3月14日(土)15時からチャペルコンサートが行われます♪
毎月祝福されているコンサートです☆彡
チャペルコンサートを通してゴスペルの素晴らしさが伝わりますように(*^o^*)

Nozomi